ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1537年、コシモ1世がメディチ家の当主となり、フィレンツェ大公となった。(イタリア)


傍流から出てメディチ家の当主となったコシモ1世

西暦1532年、イタリアの古都フィレンツェの統治者アレッサンドロ・デ・メディチ(教皇クレメンス7世の庶子とされる)が皇帝カール5世によって初代フィレンツェ大公に叙された。彼は西暦1536年には皇帝カール5世の娘と結婚している。ところが、翌年にはその初代フィレンツェ大公アレッサンドロが暗殺されてしまったんだ。

その暗殺に先立つこと17年前、西暦1519年にウルビーノ公ロレンツォ(小ロレンツォ)が亡くなり、メディチ家本宗家、すなわち国父コジモ・デ・メディチ大ロレンツォ(ロレンツォ・イル・マニフィコ)の子孫である兄脈嫡流男系は断絶していた。

イタリアの古都フィレンツェのバルジェッロ博物館で見たフィレンツェ大公(後にトスカナ大公)コシモ1世の胸像

そんなわけで、メディチ家の当主の座を継承したのは、国父コジモの弟ロレンツォ(ジョヴァンニ・ディ・ビッチの次男)を祖とする傍流の出身で名高い傭兵隊長の黒備えのジョヴァンニに息子でもあるコシモ1世だった。(上の画像はフィレンツェバルジェッロ博物館で見たコシモ1世の胸像。イタリアのマニエリズムを代表する彫刻家チェッリーニの作品。)

傍流出身の彼をメディチ家の当主にしてフィレンツェの統治者とすることに抵抗が無かったわけじゃない。でも、ヨーロッパ有数の名家にしてフィレンツェの統治者であるメディチ家当主の承継が混乱すれば、諸外国の介入も有り得る。そんな事態を怖れた有力者たちは、コシモ1世による承継を認めたわけだ。

第2代フィレンツェ大公コシモ1世

メディチ家の当主となったコシモ1世ではあったけれども、フィレンツェ大公ではなく、統領として迎えられた。有力者たちは彼が専制的な権力者となることを嫌ったらしい。ところが、皇帝カール5世は彼に第2代フィレンツェ大公の地位を認めている。皇帝はフランス王フランソワ1世と共に戦う同盟者としてのコシモ1世に期待していた。

イタリアの古都フィレンツェのシニョーリア広場を見下ろすヴェッキオ宮殿

そんな皇帝の支援もあり、反メディチ派(例えばストロッツィ家)の人々と戦って打ち勝ったフィレンツェ大公コシモ1世は、やがて専制的な権力を確立している。そんな彼は西暦1540年にメディチ宮殿からヴェッキオ宮殿(上の画像)に移っている。シニョーリア広場を見下ろすヴェッキオ宮殿は、歴史的にフィレンツェの政治の中心だった。

ちなみに、後にコシモ1世はヴェッキオ橋の向こう側にあるピッティ宮殿に移っている。ヴェッキオ宮殿(「古い宮殿」の意味らしい)と呼ばれるようになったのは、コシモ1世がピッティ宮殿に移ってからのことなんだそうな。更に余談ながら、ピッティ宮殿の中にはパラティナ美術館がある。その美術館では、私の大好きなラファエロの聖母がいくつもあるんだ。

初代トスカナ大公となったコシモ1世

やがてフィレンツェに専制的な支配を打ち立てたコシモ1世は、西暦1555年にシエナ(中世からのフィレンツェのライバル)を征服している。15ヶ月にも及ぶ攻囲の末の征服だった。下の画像はそんなシエナのドゥオモ(大聖堂)の様子なんだ。

イタリアのトスカナ地方の街シエナのドゥオモ(大聖堂)

西暦1559年にはカトー・カンブレジ条約によってコシモ1世によるシエナ領有が正式に認められた。そして西暦1569年、ローマ教皇ピウス5世によってコシモ1世は初代トスカナ大公とされたわけだ。

フィレンツェのシニョーリア広場に立つコシモ1世騎馬像

トスカナ大公となったコシモ1世は、トスカナ大公国の海軍を創設している。その海軍は、西暦1571年にはレパントの海戦にも参加している。そんなコシモ1世がフィレンツェで亡くなったのは、西暦1574年のこと。享年55歳。

イタリアの古都フィレンツェのシニョーリア広場に立つフィレンツェ大公(後にトスカナ大公)コシモ1世騎馬像

そして西暦1598年、フィレンツェの中心シニョーリア広場にトスカナ大公コシモ1世の騎馬像(上の画像)が立てられた。共和制のシンボルとして立てられたミケランジェロのダヴィデ像(今はレプリカ・・・オリジナルはアカデミア美術館に移された)と同じ広場に専制君主となったコシモ1世の騎馬像があるのも何だか皮肉な話だけどね。

必ずしも人々に愛される慈愛溢れる君主だったわけではない。でも、コシモ1世は有能な支配者だったらしい。チェーザレ・ボルジアの冷酷さを「君主論」で賞賛したマキャベリならば、コシモ1世を褒め称えただろうね。残念ながら、コシモ1世がフィレンツェの支配者となった時にはマキャベリは既に亡くなっていたんだけどね。

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