ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1500年、ルネサンスの芸術家ミケランジェロが、イタリアのローマでピエタを完成させた。


イタリア・ルネサンスの芸術家ミケランジェロの「ピエタ」

イタリアの首都ローマサン・ピエトロ大聖堂には、数え切れないほどのお宝があるよね。でも、その筆頭といえば、ルネサンスの芸術家ミケランジェロの彫刻の代表作「ピエタ」(下の画像)かな。

イタリアの首都ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの彫刻の代表作「ピエタ」

ミケランジェロがピエタを完成させたのは、西暦1500年(あるいは西暦1499年)のことだそうな。但し、当時は今のサン・ピエトロ大聖堂もなく、別の礼拝堂にあった発注者の枢機卿のお墓にあったらしいけどね。

ちなみに、このピエタの発注者である枢機卿ジャン・ド・ビレールは、元々はフランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ修道院(今は大聖堂)の院長であり、大使としてローマに派遣されていた人物だったそうな。

ローマにやって来たミケランジェロ

ミケランジェロは西暦1475年にトスカナのフィレンツェ共和国の片隅の小さな町で生まれたらしい。父親は役所で働いていたけれども、かつての「カノッサの屈辱」の際に教皇グレゴリウス7世が滞在していたカノッサの女城主として名高いトスカナ女伯の子孫であると信じていたんだそうな。

そんな家に生まれたミケランジェロは、やがて画家のギルランダイオの下で絵画を学んだ後、西暦1490年にはフィレンツェに出て、メディチ家のプラトン・アカデミーで学び、加えて彫刻の修行もしている。西暦1494年にはサヴォナローラが権力を握ったフィレンツェを離れ、ヴェネツィアボローニャに滞在したらしい。

イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂

そんなミケランジェロがローマに出てきたのが西暦1496年のことだった。上の画像は、これからルネサンスの芸術家として名高い存在となるミケランジェロの活躍の舞台となるヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の様子なんだ。(但し、今のサン・ピエトロ大聖堂の建設が始まったのは西暦1506年のことだけどね。)

ローマにやって来たミケランジェロは、ある枢機卿からの依頼により、バッカス像を制作した。ところが、そのバッカスが飲み過ぎて酔っ払っているように見えたからか、枢機卿は受け取りを拒否してしまった。そんな経緯のある彫刻なんだけど、このバッカス像はミケランジェロの名声を高めてくれたらしい。(このバッカス像は今はフィレンツェのバルジェッロ博物館にある。)

ミケランジェロによる「ピエタ」の制作とヴァティカン

そして西暦1497年にはフランス大使で枢機卿のジャン・ド・ビレールから「ピエタ」制作の話が来て、翌年にはミケランジェロは正式に注文を受けている。枢機卿は自分の墓所に飾る為に発注したんだそうな。

そんな枢機卿ジャン・ド・ビレールが亡くなったのが西暦1499年8月のこと。自分の墓所に置く彫刻を発注した翌年に亡くなっていることを考えれば、枢機卿は重い病気で苦しんでいたのかもしれないね。

でも、ミケランジェロによる「ピエタ」の完成は、枢機卿の葬儀には間に合わなかったみたい。おそらくは、その完成は西暦1500年になってからだったとされているんだ。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館のピオ・クレメンティーノ美術館の八角形の中庭にある古代彫刻の傑作「ラオコーン」

ところで、ローマで自分の彫刻の代表作となった「ピエタ」を制作したミケランジェロだったけど、ヴァティカンは彼にとってとっても収獲の多い場所だったみたい。例えば、上の画像にある古代彫刻の傑作「ラオコーン」は、ミケランジェロに大きな影響を与えたんだそうな。

この「ラオコーン」は今ではヴァティカン美術館・博物館の中のピオ・クレメンティーノ美術館八角形の中庭にあるんだけど、ミケランジェロの時代からヴァティカンには多くの古代彫刻の傑作が集められていたらしいよ。

ミケランジェロの彫刻「ダヴィデ」、そして再び「ピエタ」

イタリアのトスカナ地方の街フィレンツェのアカデミア美術館にあるミケランジェロの彫刻の代表作「ダヴィデ」 西暦1500年(あるいは1499年)にイタリアのルネサンスを代表する傑作「ピエタ」を完成させたミケランジェロは、西暦1501年にはフィレンツェに戻ったらしい。

そのフィレンツェで西暦1504年にミケランジェロが完成させたのが、「ダヴィデ」だった。「ピエタ」と並ぶ「ダヴィデ」の完成によって、イタリア・ルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロの名声は確立したらしい。

ちなみに、当初「ダヴィデ」はヴェッキオ宮殿の横のシニョーリア広場に置かれている。でも、西暦1562年にフィレンツェにアカデミア美術学校が創設され、その付属のアカデミア美術館に「ダヴィデ」は移されている。

というわけで、イタリアを代表する彫刻家となったミケランジェロ。でも、その後もローマやフィレンツェで次々と制作を命じられ、しかも彫刻だけではなく絵画や建築の仕事も委ねられている。

イタリア・ルネサンスを代表する芸術家としてのミケランジェロに与えられた報酬は少なくはなかった。でも、多忙な上に社交性に欠けた彼は、服を着替えることも無く眠るような暮らしに明け暮れていたらしい。

そんなミケランジェロが70歳を過ぎた頃、おそらくは西暦1547年頃、再びピエタの制作を始めている。彼の最初の出世作となったサン・ピエトロ大聖堂のピエタに足りないものがあったのだろうか。でも、フィレンツェのドゥオーモ博物館に残されたその第2のピエタが完成されることはなかった。

ミケランジェロは更にピエタを作り続ける。第3のピエタはフィレンツェのアカデミア美術館にあるパレストリーナのピエタだった。第4のピエタはミラノスフォルツェスコ城にあるロンダニーニのピエタだった。でも、いずれも未完成に終わってしまったんだ。

そして西暦1564年、88歳のミケランジェロが亡くなっている。彼が最後の最後までピエタに求め続けて得られなかったものは何だったのかな。

ちょいと余談なんだけど、制作に明け暮れたミケランジェロにもお楽しみがあったみたい。それが中世イタリアの塔の街として名高いサン・ジミニャーノの特産の白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ」だったそうな。彼はこのワインを愛飲したらしい。ついでながら、「神曲」を著したダンテもこのワインが好きだったとか。

ダヴィデ像の足腰に疲れが ・・・

アカデミア美術館に写されたダヴィデ像なんだけど、その高さは 5メートル、重さは 5.5トンもあった。しかし、あまり質の良くない大理石が使われていたんだって。その結果、足首に亀裂が生じているんだそうな。そりゃね、500年以上も立ちっぱなしなんだから、足腰に疲れも溜まるよね。

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