サン・ピエトロ大聖堂を眺めたイタリアの首都ローマへ行くとなると、見るべきものや歩くべき場所が多過ぎて困っちゃうよね。でも、ヴァティカンにあるカトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂ははずせないでしょ。
上の画像がそのヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂なんだけど、イタリアの首都ローマを流れるティベレ川のほとりのサンタンジェロ城からコンチリアツィオーネ通りを歩けば見ることの出来る眺めなんだ。ちょいと遠回りにはなるけど、サン・ピエトロ大聖堂の眺めを楽しむにはお勧めの通りだね。
聖ペテロの王冠とも言われるサン・ピエトロ大聖堂ローマ・カトリックにおいては、キリストの最初の弟子にして初代ローマ教皇とされるのが聖ペテロだった。(下の画像はサン・ピエトロ大聖堂の中で見た聖ペテロの像。)
聖ペテロはローマでキリスト教の布教を行い、古代ローマ帝国皇帝ネロによる迫害によって処刑されたとも伝えられる。殉教した聖ペテロ(サン・ピエトロ)の墓の上に建てられたのがサン・ピエトロ大聖堂だとされ、あるいはサン・ピエトロ大聖堂は聖ペテロの王冠だとも言われるわけだ。
皇帝コンスタンティヌスによるサン・ピエトロ大聖堂現代科学による確認はともかく、古代からここには聖ペテロの墓があったとは信じられていたみたい。故に古代ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスがここに最初のサン・ピエトロ大聖堂を建てたんだそうな。コンスタンティヌスは西暦312年にミルヴィオ橋の戦いでマクセンティウスを倒し、その勝利によって古代ローマ帝国皇帝として地位を確立したんだけど、その戦いの前には空中に十字架が浮かんだらしい。そんなわけで勝利をもたらしたキリスト教の帝国内での信仰を認めたとも言われている。
上の画像は皇帝コンスタンティヌスが勝利を得たミルヴィオ橋の戦いを描いた絵画なんだけど、ヴァティカン美術館・博物館の中にあるコンスタンティヌスの間で見ることが出来るんだ。
そして今のサン・ピエトロ大聖堂の建設古代ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスによる最初のサン・ピエトロ大聖堂が建てられたのは4世紀の後半のことだった。さすがに千年以上も経てば老朽化が著しく、14世紀には再建が検討されていたらしい。そして16世紀初頭のローマ教皇ユリウス2世によってサン・ピエトロ大聖堂の再建が決定され、ブラマンテがその建築家となり、西暦1506年4月に建設が始まったらしい。 でも、このサン・ピエトロ大聖堂の建設はなかなか進まなかった。プロジェクトは多くの人々に引き継がれていった。教皇ユリウス2世、ブラマンテ、教皇レオ10世、ラファエロ、教皇パウルス3世、ミケランジェロなどなど。
上の画像はピエタで名高いミケランジェロも手がけたクーポラ(円屋根)なんだけど、このクーポラの上に頂塔が置かれたのが西暦1593年のこと。そしてサン・ピエトロ大聖堂が完成したのは西暦1626年のことだった。
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