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西暦1539年、イングランド王ヘンリー8世の命により、ファウンテンズ・アビー(泉の修道院)が解散させられた。(イギリス)
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泉の修道院 ファウンテンズ・アビー (ヨーク郊外、イギリス)
12世紀前半、イングランド北部の街ヨークの城壁近くにあるセント・メアリーズ修道院で内紛が起こった。6世紀の聖ベネディクトに始まるベネディクト派修道院も既に規律が弛緩しており、純粋な信仰の生活を取り戻そうとする改革派と、従来の生活を維持しようとする守旧派との間に対立が生じたわけだ。
1132年、指導者リチャードを中心とする改革派の修道士13人が、セント・メアリーズ修道院から追放された。ヨーク大司教の支援を得た改革派の修道士たちは、スケル川のほとりに新しい修道院を建設し始めた。
その土地では、いくつかの泉がわいていた。その泉にちなんで、新しい修道院は、「セント・メアリー・オブ・ファウンテンズ修道院」と名づけられた。すなわち、それが上の画像にあるファウンテンズ・アビー(泉の修道院)というわけだ。
イングランド王ヘンリー8世による修道院解散法
新しい修道院の財政は厳しい状況にあった。その危機をシトー派修道院の支援によって乗り切ったファウンテンズ・アビーは、次第に規模を拡大していった。
他方、王妃キャサリンとの離婚(アン・ブーリンとの再婚)問題を契機にイタリアのローマに拠点を置くカトリックのリーダーである教皇との対立を深め、独自の英国国教会を設立したイングランド王ヘンリー8世。
ヘンリー8世は、ローマ教皇の直接の管轄下にあり、また豊かな財産を持つ修道院に狙いを定め、1539年には大修道院解散法を成立させたんだ。
その結果、上の画像にある泉の修道院(ファウンテンズ・アビー)のみならず、アーサー王伝説ゆかりのグラストンベリー修道院やイギリスの首都ロンドンからも日帰りでいけるセント・オバンスの修道院、イングランド南部のカンタベリーにある聖アウグスティヌス修道院、ヨークのセント・メアリーズ修道院など、イングランド各地の大修道院が解散させられたわけだ。
そんなこんなで解散させられた多くの修道院の財産や土地の多くはイングランド王のものとなったわけだ。でもヘンリー8世以後の代々の王たちは、財政の帳尻を合わせるためにそんな土地を次々と売り払ったらしい。
17世紀前半のスチュアート家のイングランド王チャールズ1世の頃には王領地は半減していたそうな。というわけで、売り払って財政赤字を補うことも難しくなり、やむなく開会した議会と対立し、その挙句に清教徒革命でチャールズ1世は処刑されちゃったということみたい。
ちなみに、フランスにおいても、財政危機の故に首都のパリ近郊のヴェルサイユで開会した三部会からフランス革命が始まり、やがて教会財産の国有化や修道院財産の没収(あのモン・サン・ミシェルの修道院やセナンクの修道院も)などに進んでいる。時代は異なるけど、イングランドとフランスの動きには共通する点もあるよね。
その後のファウンテンズ・アビー
西暦1540年、ファウンテンズ・アビーの土地・建物は、商人リチャード・グレシャムに売却された。その息子トマスは、修道院の土地・建物をステファン・プロクターに売却。ステファン・プロクターは、修道院の建物から多くの石材を運び出し、修道院の破壊が進んだ。
そして現在、ファウンテンズ・アビーはナショナル・トラストによって管理されている。上の画像は、ナショナル・トラストによって管理されているファウンテンズ・アビー(泉の修道院)の廃墟なんだけど、観光客でも中を散策することが出来るんだよ。静かに人気の観光スポットだったりするんだ。
スタッドリー王立公園のウォーター・ガーデン
ついでながら、現在のファウンテンズ修道院跡は、そのすぐ隣にあるウォーター・ガーデンと一緒に、スタッドリー王立公園の中に入っているんだ。
しかも、ウォーター・ガーデンとファウンテンズ修道院跡を含むスタッドリー王立公園全体が世界遺産になっている。イギリスに来て、ヨークに行く機会があれば、ちょいと足を伸ばすのも良いかも。
ファウンテンズ修道院跡とウォーター・ガーデン
ついでながら、スタッドリー王立公園にあるウォーター・ガーデンを造ったのは、ジョン・エラズビーという人物だった。彼は隣接するファウンテンズ修道院跡の土地も所有者から買い取ろうとしたんだそうな。ところが、その交渉がうまくいかなかったんだ。
そしてジョンさん、自分のウォーター・ガーデンの横に小高い丘を造っちゃった。そのおかげで、ファウンテンズ修道院跡からはウォーター・ガーデンを見ることができない。でも、自分はその小高い丘に登れば、ファウンテンズ修道院跡の眺めをタダで楽しむことが出来ると ・・・。
でもね、ジョンさんの息子さんの代になって、隣のファウンテンズ修道院跡の土地も買い取ることが出来たんだ。でも、今もファウンテンズ修道院跡からウォーター・ガーデンを見ることは出来ないんだけどね、あのジョンさんの丘のせいで。
ヘンリー8世とアイルランド
そんなイングランド王ヘンリー8世は、彼の統治下にあったアイルランドでも混乱を巻き起こしている。英国国教会と同様にアイルランド国教会を組織し、全ての教会をその管轄下に移している。
その後、西暦1829年にアイルランドを含むイギリス連合王国でカトリック教徒解放法が発効し、更には西暦1922年にアイルランド自由国が成立したけれども、現在に至るまでダブリンの二つの大聖堂(聖パトリック大聖堂とクライスト・チャーチ)を含む歴史ある教会は国教会の管轄下にあるんだ。
更にヘンリー8世はアイルランドの修道院をも解散させている。その一つがダブリンを流れるリフィ川のほとりにあった修道院だった。その跡地はテンプル家に与えられた。その土地が今ではテンプル・バー地区(バーとは川岸の道のこと)となっている。それがダブリンでも人気のパブが多い地区になっているんだけど、それはヘンリー8世の功績 ・・・ と言えるのかな。ギネス・ビールを楽しむにはおすすめの地区なんだけどね。
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