ポルトガルを支配したイスラム教徒とレコンキスタ西暦711年に北アフリカからイベリア半島に侵攻したイスラム教徒は、トレドを首都としていた西ゴート王国を滅ぼし、やがて今のスペインとポルトガルのほぼ全土を征服した。
そんなイスラム教徒の足跡は今も各地に残っているよね。例えばスペイン南部アンダルシア地方のセビリアの街のヒラルダの塔であり、コルドバの街のメスキータであり、グラナダの街のアルハンブラ宮殿だよね。ポルトガルでは王宮のあるシントラの街にムーア人の城跡(上の画像の山の上に見える)が残っていたりするわけだ。
ポルトガルにおけるレコンキスタ(国土回復運動)そんなイスラム教徒から土地を奪い返そうというレコンキスタ(国土回復運動)が間もなく始まった。西暦868年にはアストゥリアス王アルフォンソ3世がポルトカレの街を征服したらしい。西暦1096年にはカスティーリャ王アルフォンソ6世の王女と結婚したエンリケ・ド・ボルゴーニャがポルトカレ伯爵となった。(エンリケ・ド・ボルゴーニャはフランス東部ブルゴーニュ地方の領主ブルゴーニュ公の縁者とか。)その息子アフォンソ・エンリケスは西暦1139年に初代ポルトガル王アフォンソ1世として即位している。そのアフォンソ1世は、イングランドなどの十字軍艦隊の支援を得て、イスラム教徒が支配していたリスボンを占領している。西暦1147年のことだった。
今のポルトガルの首都リスボンは西暦1755年のリスボン地震によって甚大な被害を受け、その後に復興を遂げた街であり、基本的に中世以前の姿を残してはいない。但し、例外的にリスボン市内のアルファマ地区(上の画像)だけは古いリスボンの街の面影を保っているんだそうな。そのアルファマ地区こそがイスラム教徒が支配していた頃のリスボンの中心だったらしい。
ポルトガルのオビドスの街を取り囲む中世の城壁リスボンを占領した初代ポルトガル王アフォンソ1世は、その翌年の西暦1148年にはオビドスの街を征服している。でも、その後もポルトガルに残るイスラム教徒の襲撃を懸念し、オビドスの街の周囲を取り囲む城壁は強化されたんだそうな。
上の画像はそんなオビドスの街を取り囲む中世の城壁の様子なんだ。但し、今のオビドスの城壁は西暦1375年に築かれたものだとか。イスラム教徒よりもむしろカスティーリャ王国の攻撃に対しての備えだったのかもね。
ポルトガルに残るイスラム教徒ゆかりのアズレージョそんなわけで、13世紀半ばにはポルトガルからイスラム教徒勢力が駆逐された。でも、ポルトガルには今もイスラム教徒ゆかりのものが残っているんだ。その代表的なものがポルトガルには欠かせないアズレージョ(絵柄タイルによる装飾)だね。
上の画像はポルトガル王家ゆかりのケルス宮殿の中の様子なんだけど、アズレージョが多用されているのがよくわかるよね。他にも、内部の撮影はできなかったけれどもシントラの王宮にもアズレージョのコレクションがあったし、オビドスの教会の中にもアズレージョがあった。いずれにせよ、ポルトガルを歩けば、必ずアズレージョを見ることになるだろうね。
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