ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1479年、スペインのカトリック両王の一人 アラゴン・カタルーニャ連合王国の王フェルナンド2世が即位した。


スペインのアラゴン・カタルーニャ連合王国の王子フェルナンド2世

西暦1452年、スペイン北東部にあるアラゴン・カタルーニャ連合王国に王子フェルナンド2世が誕生した。といっても、王には先妻との間に長男カルロスがおり、王位を継承するのはカルロス ・・・ のはずだった。ところが、西暦1461年にはカルロスが亡くなり、フェルナンド2世がアラゴン・カタルーニャ連合王国の王太子となったんだ。

スペイン北東部カタルーニャ地方の州都バルセロナにあるレイ広場(王の広場)と王宮の入り口

上の画像は今のスペイン北東部カタルーニャ地方の州都バルセロナにあるレイ広場(王の広場)。奥に見える階段の上がかつてのアラゴン・カタルーニャ連合王国の王宮の入り口だった。

後に王となったフェルナンド2世は、スペインに残った最後のイスラム教勢力のナスル朝の使者をこの王宮で迎えたこともある。ここで新大陸アメリカを発見したコロンブスの第1回航海の報告を受けたこともあるんだそうな。但し、今ではちょいと治安の悪い場所になっているんだけどね。

カスティーリャ王女イサベル1世との結婚

アラゴン・カタルーニャ連合王国の王子フェルナンド2世が隣国カスティーリャの王女イサベル1世と結婚したのが西暦1469年のこと。その5年後、イサベル1世の兄でカスティーリャ王エンリケ4世が亡くなった。カスティーリャの王位を継承するのはイサベル1世か、あるいはエンリケ4世の娘のフアナか。(但し、王女フアナの父親については疑問があったそうな。)

王女フアナは隣国ポルトガルの王アフォンソ5世と婚約した。当然ながらポルトガル王アフォンソ5世はフアナの王位継承権を支持して軍を率いてカスティーリャに侵攻してきたんだ。ちなみに、アフォンソ5世はポルトガルのシントラの王宮で生まれたらしい。下の画像はそのシントラの王宮なんだ。

ポルトガルのシントラの王宮

対する王女イサベル1世を支援するのは、夫であるアラゴン・カタルーニャ連合王国の王子フェルナンド2世だった。西暦1474年にはセゴビアにおいてカスティーリャ女王イサベル1世として戴冠の塗油を受けさせている。更には西暦1476年にはポルトガル王アフォンソ5世の軍を撃ち破り、イサベル1世の王位を確かなものにしたんだ。

ちなみに、イサベル1世のカスティーリャ女王即位にともない、フェルナンド2世もカスティーリャ王となっている。但し、あくまでも女王の配偶者であることによるものであり、イサベル1世が亡くなるとフェルナンド2世はカスティーリャ王ではなくなり、王位は娘の女王フアナによって継承された。また、カスティーリャ王としてはフェルナンド5世となるんだそうな。

実質的な統一スペイン王国によるレコンキスタの完了

西暦1479年、アラゴン・カタルーニャ連合王国の王フアン2世が亡くなった。その王位を継承し、フェルナンド2世がアラゴン・カタルーニャ連合王国の王となったんだ。

そして彼の配偶者は既にカスティーリャ女王。というわけで、ここに実質的な統一スペイン王国が誕生したとも言えるかな。(もちろん厳密にはカスティーリャ王国とアラゴン王国とは別だし、更にはカタルーニャ伯領もヴァレンシア王国も別の国なんだけどね。)

西暦1482年、彼らは軍をスペイン南部アンダルシア地方に最後に残ったイスラム教勢力であるナスル朝に向けた。その古都グラナダが陥落し、アルハンブラ宮殿の鍵をフェルナンド2世とイサベル1世が受け取ったのが西暦1492年のこと。ここにスペインのレコンキスタ(国土回復運動)が完了したわけだ。

スペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダの王室礼拝堂にあるイスラム教徒を踏みつける騎士の像

上の画像はフェルナンド2世とイサベル1世が葬られているグラナダの王室礼拝堂の祭壇で見たものなんだけど、イスラム教徒らしき人物を踏みつけているのはおそらくフェルナンド2世なんだろうね。

ちなみに、このグラナダの王室礼拝堂を築いたのは、フェルナンド2世とイサベル1世の孫にあたるハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)だった。その母である女王フアナの墓もこの中にある。

ナポリ王ともなったフェルナンド2世

フェルナンド2世の父親のアラゴン・カタルーニャ連合王国の王フアン2世は、長くフランスと戦っていた。フランス王家とも深い関係のあるルネ・ダンジューは名目だけのことではあってもアラゴン王やバルセロナ伯を称していたほどなんだ。またナポリの王位も争いの対象だった。

フェルナンド2世がフアン2世から王位を継承した後、西暦1480年にルネ・ダンジューは今のフランス南部プロヴァンス地方の街エクサン・プロヴァンスで亡くなるんだけど、彼の地位を継承したと称したのがフランス王家だった。その後は、ナポリの王位をめぐってフランス王家とフェルナンド2世との争いが起こったんだ。

イタリア南部の街ナポリのヌオヴォ城

そんなフランス王家との間で決着がついたのが西暦1504年のこと。フランス王家はナポリ王位を諦め、フェルナンド2世がナポリ王となったんだ。(上の画像はフランスとスペインが争ったナポリのヌオヴォ城。)

そんなフェルナンド2世は西暦1516年に亡くなった。その後継者がハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)だった。ちなみに、その後のスペイン王はフェルナンド2世が確保したナポリ王位をも継承している。今のスペイン国王フアン・カルロス1世も名目的ではあるけれどもナポリ王を称しているんだ。

余談ながら、マキャベリの「君主論」においては、このフェルナンド2世はずいぶんと誉められている。君主として大事業を次々と遂行していく企画力・実行力を見習うべきだということらしい。

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