ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1438年、大航海時代の近づくポルトガルで6歳のアフォンソ5世が王として即位した。


ポルトガルの王子アフォンソ5世の誕生

西暦1432年、ポルトガルシントラの王宮(その外観が下の画像)で王子が生まれた。後にポルトガル王アフォンソ5世となる赤ちゃんだった。

ポルトガルのシントラの王宮

アフォンソ5世の祖父はカスティーリャと戦って王位を得た初代アヴィス朝ポルトガル王ジョアン1世、父はジョアン1世の嫡男のドゥアルテだった。

6歳のポルトガル王アフォンソ5世の即位

アフォンソ5世が生まれた翌年の西暦1433年、祖父のジョアン1世が亡くなり、父親がポルトガル王ドゥアルテ1世として即位した。ところが父王は在位わずか5年で亡くなってしまった。その結果、西暦1438年にわずか6歳のポルトガル王アフォンソ5世が即位したわけだ。

当初は母后のレオノールが幼い王の摂政となった。でも、アラゴン王の王女だったレオノールはポルトガルの人々には不人気だったらしい。やがてコルテス(議会)がアフォンソ5世の摂政として選んだのが、コインブラ公ペドロだった。公はジョアン1世の息子にしてドゥアルテ1世の弟であり、幼い王の叔父でもあった。

ポルトガルの首都リスボンの発見のモニュメントに描かれたコインブラ公ペドロ

王の摂政としてのコインブラ公ペドロは、大西洋探検を支援することを決定し、その責任者として弟のエンリケ航海王子を任じたらしい。そんなコインブラ公ペドロの像はリスボンの発見のモニュメントにも描かれているんだ。上の画像の中央やや右に跪いて祈る女性がいるよね。その左側がコインブラ公ペドロの像なんだそうな。

ポルトガル王アフォンソ5世の結婚

西暦1441年、9歳になったポルトガル王アフォンソ5世の結婚式がオビドスで行われた。相手は摂政のコインブラ公ペドロの娘のイザベルだった。(下の画像は中世の城壁の街オビドスにあるサンタ・マリア教会の祭壇。)

ポルトガルの中世の城壁の街オビドスにあるサンタ・マリア教会の祭壇

西暦1448年、16歳になったポルトガル王アフォンソ5世が親政を始め、コインブラ公ペドロは摂政の地位から降りた。でも、国政の実権はブラガンサ公の手に落ち、やがて反逆の罪を着せられたコインブラ公ペドロに対して軍が差し向けられた。コインブラ公ペドロは西暦1449年に戦いの場で亡くなったらしい。

但し、後のことではあるけれども、アフォンソ5世の息子のポルトガル王ジョアン2世は母イザベルの父であるコインブラ公ペドロの名誉を回復したんだそうな。

ポルトガル王アフォンソ5世のカスティーリャでの戦い

アフォンソ5世の統治下で叔父にあたるエンリケ航海王子がポルトガルの大航海時代を切り開いていたんだけど、王自身も自らアフリカ北部に遠征し、モロッコでの領地を獲得している。

そして西暦1474年、隣国のカスティーリャ王エンリケ4世が亡くなり、その娘のフアナとエンリケ4世の妹のイサベルとの間で王位継承の争いが起こった。既に最初の王妃に先立たれていたポルトガル王アフォンソ5世はその時点で独身になっていたんだけど、ポルトガルの支援を求めた王女フアナはアフォンソ5世と婚約したわけだ。

あわよくばカスティーリャ王となることを期待したポルトガル王アフォンソ5世は、大軍を率いて隣国に侵入した。他方、アラゴンの王子フェルナンドと結婚していたイサベルはカスティーリャの貴族たちの支持を得て迎え撃った。

結局、西暦1476年にポルトガル王アフォンソ5世はカスティーリャで大敗を喫し、カスティーリャ女王イサベル1世が王位を確保したんだ。ちなみに、その夫のアラゴンの王子も、西暦1479年にアラゴン王フェルナンド2世として即位している。(下の画像は、イサベル1世ゆかりのスペインのセゴビアにあるアルカサルから眺めた風景。)

スペインの街セゴビアのアルカサルから眺めた風景

ポルトガル王アフォンソ5世とカスティーリャ女王イサベル1世との戦いはしばらく続いた。両者の間にアルカソヴァ条約が結ばれたのは西暦1479年のこと。その条約により、アフォンソ5世はカスティーリャ女王イサベル1世の地位を認め、他方で大西洋に浮かぶマデイラなどの島々やアフリカ西岸の権利はポルトガルに帰属することをカスティーリャは認めたんだ。

そのアルカソヴァ条約によって後顧の憂いを解消したカスティーリャ女王イサベル1世は、夫のアラゴン王フェルナンド2世と共にスペイン南部アンダルシア地方古都グラナダに残るイスラム教徒のナスル朝(世界遺産アルハンブラ宮殿を築いた)を攻め、西暦1492年に攻略してスペインのレコンキスタ(国土回復運動)を完了したわけだ。

他方のポルトガルはアルカソヴァ条約の上に本格的に大航海時代を迎え、ヴァスコ・ダ・ガマによるインドのカリカット到達などにより、マヌエル1世の黄金時代が花開くわけだね。

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