アルザス地方にそびえるストラスブール大聖堂の尖塔フランス東部アルザス地方の街ストラスブール。古い街並みの美しいプチ・フランスなどに多くの観光客を集めるストラスブールの中心にそびえているのが、尖塔の高さ142メートルを誇るストラスブール大聖堂(あるいはノートルダム・ド・ストラスブール大聖堂)だね。(下の画像はストラスブール大聖堂の西側正面ファサードの入り口の様子。)
このストラスブール大聖堂の建設が始まったのは、西暦1176年のことだった。ちなみに、当時のストラスブールを含むアルザス地方は、神聖ローマ帝国の領土だった。(西暦1681年にフランス王ルイ14世太陽王がストラスブールを占領。)
ロマネスク様式からゴシック様式に変更されたストラスブール大聖堂ストラスブール大聖堂の工事が始まった頃は、ロマネスク様式の建物を建てようとしていたらしい。ところが、その後、シャルトル大聖堂の関係者のアドバイスにより、ストラスブール大聖堂の工事もゴシック様式を目指すことになったんだそうな。
上の画像は、ストラスブール大聖堂の南側面なんだけど、ゴシック様式ならではフライング・バットレスが多用されているのが見えている。
ストラスブール大聖堂の西側正面ファサードのバラ窓と双塔やがて西暦1277年にはストラスブール大聖堂の西側正面ファサードに着工した。西暦1340年には西側正面ファサードのバラ窓の高さまで完成し、高さ66メートルの双塔が完成したのが西暦1365年のことだった。
上の画像は、そんな西側正面ファサードを内部から眺めた様子。ゴシック様式の教会・聖堂ならではのバラ窓のステンド・グラスが印象的だね。このストラスブール大聖堂に影響を与えたシャルトル大聖堂のシャルトル・ブルーのステンド・グランスはもっと印象的だけどね。
高さを追求したストラスブール大聖堂の尖塔西側正面ファサードに完成した双塔の高さは66メートルだった。でも、その双塔の一つに鐘塔を設けることになり、ストラスブール大聖堂の建設工事は続けられた。その鐘塔が完成したのが西暦1419年のこと。ところが、ストラスブール市の参事会は高さ100メートルの鐘塔にも満足しなかった。鐘塔の上に高さ32メートルの尖塔が増築され、更にその上に高さ10メートルの聖母子像が置かれた。 その工事が完成したのが西暦1439年のこと。ストラスブール市参事会もようやく満足し、ストラスブール大聖堂は完成したというわけだ。(下の画像は西側正面ファサードの前から見上げた尖塔。)
そんなわけで完成したストラスブール大聖堂。でも、その歴史は紆余曲折を続けていった。宗教改革によって西暦1523年にはストラスブール大聖堂はプロテスタントの管理下に置かれた。でも、西暦1550年にはストラスブール大聖堂はカトリックに返還され、西暦1561年には再びプロテスタントに。でも、西暦1681年にフランス王ルイ14世太陽王に占領されると、カトリックに返還されている。
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