ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1439年、神聖ローマ帝国のアルザス地方(今はフランス領)で、尖塔の高さ142メートルを誇るストラスブール大聖堂が完成した。


アルザス地方にそびえるストラスブール大聖堂の尖塔

フランス東部アルザス地方の街ストラスブール。古い街並みの美しいプチ・フランスなどに多くの観光客を集めるストラスブールの中心にそびえているのが、尖塔の高さ142メートルを誇るストラスブール大聖堂(あるいはノートルダム・ド・ストラスブール大聖堂)だね。(下の画像はストラスブール大聖堂の西側正面ファサードの入り口の様子。)

フランス東部アルザス地方のストラスブール大聖堂の西側正面ファサード入り口

このストラスブール大聖堂の建設が始まったのは、西暦1176年のことだった。ちなみに、当時のストラスブールを含むアルザス地方は、神聖ローマ帝国の領土だった。(西暦1681年にフランス王ルイ14世太陽王ストラスブールを占領。)

ロマネスク様式からゴシック様式に変更されたストラスブール大聖堂

ストラスブール大聖堂の工事が始まった頃は、ロマネスク様式の建物を建てようとしていたらしい。ところが、その後、シャルトル大聖堂の関係者のアドバイスにより、ストラスブール大聖堂の工事もゴシック様式を目指すことになったんだそうな。

フランス東部アルザス地方のストラスブール大聖堂の南側面に多用されているフライング・バットレス

上の画像は、ストラスブール大聖堂の南側面なんだけど、ゴシック様式ならではフライング・バットレスが多用されているのが見えている。

ちなみに、ストラスブール大聖堂のゴシック様式化に影響を与えたのはシャルトル大聖堂だったけど、そのゴシック様式の先駆的な存在としては、フランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ大聖堂があった。パリのシテ島のノートルダム大聖堂がゴシック様式となったのもその影響だった。

ストラスブール大聖堂の西側正面ファサードのバラ窓と双塔

やがて西暦1277年にはストラスブール大聖堂の西側正面ファサードに着工した。西暦1340年には西側正面ファサードのバラ窓の高さまで完成し、高さ66メートルの双塔が完成したのが西暦1365年のことだった。

フランス東部アルザス地方のストラスブール大聖堂の西側正面ファサードのバラ窓を内部から眺めた

上の画像は、そんな西側正面ファサードを内部から眺めた様子。ゴシック様式の教会・聖堂ならではのバラ窓のステンド・グラスが印象的だね。このストラスブール大聖堂に影響を与えたシャルトル大聖堂のシャルトル・ブルーのステンド・グランスはもっと印象的だけどね。

全くの余談なんだけど、フランス南部コート・ダジュールの街ニースシャガール美術館のある画家マルク・シャガールは、シャルトル大聖堂のシャルトル・ブルーを熱心に勉強したらしい。

高さを追求したストラスブール大聖堂の尖塔

西側正面ファサードに完成した双塔の高さは66メートルだった。でも、その双塔の一つに鐘塔を設けることになり、ストラスブール大聖堂の建設工事は続けられた。その鐘塔が完成したのが西暦1419年のこと。

ところが、ストラスブール市の参事会は高さ100メートルの鐘塔にも満足しなかった。鐘塔の上に高さ32メートルの尖塔が増築され、更にその上に高さ10メートルの聖母子像が置かれた。

その工事が完成したのが西暦1439年のこと。ストラスブール市参事会もようやく満足し、ストラスブール大聖堂は完成したというわけだ。(下の画像は西側正面ファサードの前から見上げた尖塔。)

フランス東部アルザス地方のストラスブール大聖堂の尖塔を見上げた

そんなわけで完成したストラスブール大聖堂。でも、その歴史は紆余曲折を続けていった。宗教改革によって西暦1523年にはストラスブール大聖堂はプロテスタントの管理下に置かれた。でも、西暦1550年にはストラスブール大聖堂はカトリックに返還され、西暦1561年には再びプロテスタントに。でも、西暦1681年にフランス王ルイ14世太陽王に占領されると、カトリックに返還されている。

西暦1789年にフランス革命が始まり、他の多くの教会・聖堂と同様にストラスブール大聖堂も国有化されたんだ。でも、革命の指導者の中にはこの大聖堂の尖塔を取り壊すことを主張する人々がいた。その取り壊しを避けるために、ストラスブールの人々は尖塔の上に革命を象徴するフリジア帽をかぶせたんだそうな。

西暦1871年、皇帝ナポレオン3世統治下のフランスが普仏戦争に敗北した時には、ストラスブール大聖堂の尖塔には白旗が掲げられたらしい。そしてアルザス地方はドイツ帝国に割譲されたんだ。

その後、第一次世界大戦下の西暦1918年にドイツで革命が起こるとストラスブール大聖堂の尖塔には赤旗が掲げられた。しかし、アルザス地方を取り戻したフランス軍がストラスブールに入城すると、大聖堂の尖塔には三色旗が掲げられた。

第二次世界大戦勃発後の西暦1940年、ナチス・ドイツ軍がストラスブールを占領した時には、大聖堂の尖塔にはナチスの鉤十時の旗が掲げられた。そして連合国軍がパリを解放した後の西暦1944年11月23日午後2時、アメリカ第七軍に参加していたフランス第二機甲師団がストラスブールを奪還し、大聖堂の尖塔には再び三色旗が掲げられた。

そんなこんなで、この高い塔と長い歴史を誇るストラスブール大聖堂は、めまぐるしく変化する時流の中で立ち続けてきたわけだね。

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