ポルトガルの大航海時代ゆかりのジェロニモス修道院ポルトガルの首都リスボンを訪れたならば、大航海時代ゆかりのベレンの塔や発見のモニュメントを見に行く人が多いよね。それらに負けず劣らず見逃せないのが、世界遺産ジェロニモス修道院(下の画像はその回廊の様子)かな。
このジェロニモス修道院は、大航海時代のポルトガル王マヌエル1世の時代に建立されたもの。香辛料などの貿易によってポルトガルにもたらされた富がこの修道院の建立の資金となったわけだ。
インドのカリカットに到達したヴァスコ・ダ・ガマそんなポルトガルの大航海時代ゆかりのジェロニモス修道院の中には、ヴァスコ・ダ・ガマのお墓(下の画像)がある。かつてのポルトガルを支えた香辛料貿易のパイオニアがこのヴァスコ・ダ・ガマだった。彼がここに葬られたのも当然かもしれないね。彼の冒険のおかげでこのジェロニモス修道院が建立できたとも言えるわけだからね。
エンリケ航海王子の時代から、ポルトガルはアフリカ西岸を南下する航海を行ってきた。そして西暦1488年には、バーソロミュー・ディアスがアフリカ南端の喜望峰にまで到達したわけだ。
インドに向かう途中でブラジルを発見したカブラルヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見から2年後の西暦1500年3月、ポルトガルは新たな艦隊をインドに向けて出航させた。ところが、大西洋を南下したその艦隊が発見したのがブラジルだった。
上の画像は、ヨーロッパの新しい通貨ユーロに切り替えられる前にポルトガルで発行されていた1000エスクード紙幣なんだけど、描かれているのがブラジルを発見したポルトガル艦隊の司令官カブラルなんだ。
インドにおけるカレーとの出会いその後も大航海時代のポルトガルは香辛料貿易を維持・拡大するために、軍事力をもってインドを支配下に置いた。そんなインドに医者として滞在したのが、植物学者でもあったガルシア・デ・オルタだった。(下の画像は、ユーロ切り替え前のポルトガルの200エスクード・コインに描かれているガルシア・デ・オルタ。)
この人物は西暦1563年にインドの薬草などに関する本を出版している。その本の中でカリールというインドの料理について書いている。それこそが私たちが大好きなカレーだね。大航海時代のポルトガル人はインドでカレーと出会っていたわけだ。
All rights reserved 管理・運営 あちこち三昧株式会社 このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 |