セゴビアを奪い返したアストゥリアス王アルフォンソ1世後にスペインのレコンキスタ(国土回復運動)の出発点となったアストゥリアス王国。西暦739年に即位したアルフォンソ1世は、そのアストゥリアス王国発展の基礎を作った王だったかもしれない。18年間の治世の間に、アルフォンソ1世はセゴビアなどの街をイスラム教徒から奪い返し、キリスト教徒を入植させたんだ。(下の画像は高台から眺めたセゴビアの街並み。)
但し、このセゴビアの街は再びイスラム教徒の手に落ちる運命にあった。そして、最終的にキリスト教徒の手に戻ってきたのは、11世紀の後半のこと。スペインの古都トレドを征服したカスティリア王アルフォンソ6世によって奪還されたんだ。
スペインのレコンキスタの出発点 アストゥリアス王国西暦1492年にイスラム教徒のグラナダ王国が滅ぼされ、スペインにおけるレコンキスタ(国土回復運動)が完了したことは知られているよね。このレコンキスタの出発点になったのが、アストゥリアス王国なんだ。西暦711年にイベリア半島の南部に上陸したイスラム教徒の軍は、西暦713年には西ゴート王国を滅亡させた。その西ゴート王国の近衛兵だったペラヨなる人物が、イベリア半島北部の山間部に逃げ込んだキリスト教徒の集団によって指導者とされた。そのペラヨは、西暦718年(あるいは722年)に、イスラム教徒との戦いで初めての勝利を得た。 やがてペラヨの率いたキリスト教徒の集団は、アストゥリアス王国を建てた。その後、かつての西ゴート王家の血をひくアルフォンソが、アストゥリアス王国にやってきて、ペラヨの娘と結婚した。 ペラヨの死後、その息子ファヒラがアストゥリアス王位を継承したけれども若くして亡くなり、西ゴート王家の子孫アルフォンソ1世がアストゥリアス王位を得たというわけだ。 アルフォンソ1世がセゴビアなどの街々をイスラム教徒の手から奪い返した後も、代々の王の許でアストゥリアス王国は発展して行った。そこからレオン王国やカスティリア王国が生まれ、数百年後の西暦1492年にスペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダ(世界遺産アルハンブラ宮殿で名高い街)を攻略し、キリスト教徒によるイベリア半島全土の奪還(レコンキスタ)が完了したわけだ。
セゴビアに残る古代ローマ帝国時代の水道橋ところで、アストゥリアス王アルフォンソ1世が奪い返したスペインの街セゴビアなんだけど、古代ローマ帝国時代からの歴史ある街なんだ。下の画像は、セゴビアに残る古代ローマ帝国時代の水道橋。
その高さは約29メートル。フランス南部プロヴァンス地方の街ニームに水を供給していた古代ローマ帝国時代の水道橋ポン・デュ・ガールと比べれば少し小さいんだけどね。
白雪姫の城のモデル ・・・ セゴビアのアルカサル(城館)セゴビアには、もうひとつ名物があるんだ。それが下の画像にあるスペインを代表する美しいアルカサル(城館)。
この美しいお城が、ディズニー映画の白雪姫のお城のモデルになったんだそうな。といっても、このページの主役であるアストゥリアス王アルフォンソ1世の時代にはこんなアルカサルは無かったけどね。今のアルカサルには、ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)やフェリペ2世なども手を入れたらしいよ。
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