岩山の上の鷲の巣村エズ (フランス南部コート・ダジュール)フランス南部コート・ダジュールのニースとモナコ公国との間に、エズという小さな村がある。下の画像はニースからタクシーで向かう途中に遠望した岩山の上の鷲の巣村エズの風景なんだ。
このエズ村は、西暦740年にイスラム教徒に占領されたという歴史を持っている。その後も何度かイスラム教徒の襲撃を受け、支配されている。そんな危険のある状況だったからこそ、こんな不便極まりない岩山の上に鷲の巣のような村を築いたんだよね。
エズ村周辺の地理そんなエズ村なんだけど、フランス南部の観光地ニースと世界で二番目に小さな独立国モナコ公国との間に挟まれ、イタリア国境までも 20kmほどの距離にあるんだ。
エズ村は今はフランス領なんだけど、元々はモナコ公国の一部として、ニースなどと同様にサヴォワ公家の支配下あるいは保護下にあったみたい。そのサヴォワ公家がやがてサルディニア王家となり、更には統一イタリア王国の王家となる過程で、ニースなどと共にフランスに割譲され、やがてフランスが主権を承認したモナコ公国から切り離されたんだそうな。
迷路のようなエズ村の路地ちょいと寄り道しちゃったけど、中世のエズ村の話に戻ろう。西暦740年にエズ村を占領したイスラム教徒は、エズ村の中に城砦を築いたんだそうな。(下の画像は、そんなエズ村の迷路のような路地の様子。)
エズ村がずっとイスラム教下の支配下にあったわけじゃなかったみたい。でも、最終的にエズ村がイスラム教徒の支配から解放されたのは、西暦973年(プロヴァンス伯ギョーム1世がフランス南部のサラセン人を敗走させた)のことだった。
岩山の上の鷲の巣村エズ、その後その後もエズ村を取り巻く環境は流動的で、人々は岩山の上の鷲の巣村を離れることは出来なかったみたい。西暦1388年にはエズ村はサヴォワ公家の支配下に入ったんだけど、神聖ローマ帝国に属するサヴォワ家とフランス王家との対立が続いたんだ。西暦1543年にはフランス王フランソワ1世と同盟していたオスマン・トルコの提督バルバロッサ(むしろ海賊として有名)がエズ周辺を襲撃している。その後もパリ近郊にヴェルサイユ宮殿を造営したことで名高いフランス王ルイ14世太陽王がエズ村の城壁を破壊している。 その後は上にも書いたけど、フランス革命の後のフランスによる併合、サルディニア王家の領有、フランスへの割譲となるわけだ。そして世界でも名高い観光地ニースに来る人々は、ちょいと足を伸ばして岩山の上の鷲の巣村エズにも来るというわけだ。
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