ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1678年、イギリスで捏造された陰謀事件により多くのカトリックが犠牲になった。


イギリス王チャールズ2世の耳に入ったカトリック陰謀事件

イギリスの首都ロンドンでは、8月といっても日本の夏ほどの暑さはない。気温が30度を超えるのは、平均すれば年に数回じゃないかな。だから、夏の公園の散歩も心地良いんだ。

そんなロンドンの8月、といっても西暦1678年のことなんだけど、イギリス王チャールズ2世(王政復古によって王となった)がセント・ジェームズ・パーク(下の画像)を歩いていた。

イギリスの首都ロンドンにあるセント・ジェームズ・パークの風景

その時、チャールズ2世に「カトリック陰謀事件」の情報をもたらしたのが、クリストファー・カークビーだった。カークビーはチャールズ2世の科学実験の助手だった。

「カトリック陰謀事件」とは ・・・

イギリス王チャールズ2世に伝えられた「カトリック陰謀事件」とは以下のようなことだった。

  • カトリックの頂点に立つローマの教皇庁がイギリス王チャールズ2世の暗殺を承認した。

  • 暗殺が成功すれば、弟でカトリックのジェームズ2世がイギリス王に即位するだろう。

  • イギリスにいるイエズス会がその実行を命じられた。

  • チャールズ2世を射殺する計画だが、もしそれが成功しなければ王妃の侍医が王を毒殺する。

  • トングという英国国教会の聖職者がカトリック陰謀事件について詳しく知っている。

チャールズ2世の命でトングを聴取した王の側近が報告したが、リチャード2世は馬鹿馬鹿しいと取り合わず、その陰謀事件について口外しないようにと命じただけだった。

実はこの「カトリック陰謀事件」は全く根も葉もないものだった。トングとオーツという二人の人物がでっちあげた話だった。オーツは英国国教会をクビになった後にイエズス会で学んだものの入会を許されず、イエズス会を恨んでいた。その二人が捏造した陰謀事件について、トングが知人のクリストファー・カークビーに伝え、そのカークビーが公園を散歩する王に伝えたというわけだ。

「カトリック陰謀事件」が惹き起こしたパニック

ところが、この「カトリック陰謀事件」の話は次第に広がっていった。そしてイギリス王リチャード2世の弟のヨーク公(後のイギリス王ジェームズ2世)の知るところとなり、ヨーク公は事件についての調査を命じた。

イギリスの首都ロンドンにあるロンドン塔 オーツとトングは、治安判事に呼び出され、枢密院でも喚問され、彼らがでっちあげた陰謀を企んでいるとして多くの人々の名前を挙げた。その中の一人であるヨーク公の奥方の秘書が、フランスのイエズス会士と手紙のやり取りをしていることが発覚した。

更に、彼らの話を聞いた治安判事が遺体で発見され、その犯人はわからなかった。公爵夫人秘書とイエズス会士の交信に加えて、この謎の殺人事件が彼らのでっちあげの陰謀事件の信憑性をいきなり高めたらしい。

そしてウェストミンスター宮殿の議会も捏造されたカトリック陰謀事件を信じるに至った。西暦1678年10月には、カトリックを信じる5人の貴族が逮捕され、ロンドン塔(右の画像)に送り込まれた。

その5人のカトリックの貴族のうち、一人は西暦1680年に斬首によって処刑された。別の一人は西暦1683年にテムズ川のほとりのロンドン塔で亡くなっている。でっちあげの陰謀事件の罪によって。

イギリス各地でカトリック陰謀事件の波紋が ・・・

捏造されたカトリック陰謀事件がパニックを起こしたのは、ロンドンだけじゃなかった。イギリス各地でカトリックの人々が犠牲になったらしい。

イギリスのウェールズにあるカーディフ城

例えば、ウェールズ南部カーディフ城(上の画像)の中にある刑務所には、フィリップ・エヴァンズというイエズス会士とジョン・ロイドという神父が収監されていた。ロンドンで「カトリック陰謀事件」の騒ぎが始まった西暦1678年に二人は逮捕され、翌年の7月に処刑されたらしい。

犠牲になったカトリックとイエズス会士たち

でっちあげられた「カトリック陰謀事件」の騒ぎも、やがては下火になっていった。でも、少なくとも15人のカトリック信者が無実の罪で処刑されたらしい。特にイエズス会士は9人が処刑された。他に12人のイエズス会士が刑務所で亡くなったらしい。

イングランド王ヘンリー8世修道院を解散させ、英国国教会を組織した16世紀から、イギリスではカトリックに対する反感が強かった。西暦1605年のガイ・フォークスたちによる火薬陰謀事件もあった。先代のイギリス王チャールズ1世にしても、イギリスをカトリックに復帰させるんじゃないかとの危惧から清教徒革命の際の処刑に至ったとの考えもあるみたい。

そんなこんなでイギリスにおけるカトリックは厳しい状況に置かれていた。そしてカトリック教徒解放法が出されたのが西暦1829年のことだった。

イギリスの首都ロンドンにあるカトリックのウェストミンスター大聖堂 その成立に尽力したのは、当時イギリスの統治下にあったアイルランド出身の政治家ダニエル・オコンネル(ダブリンオコンネル通りに銅像と名を残す人物)であり、ロンドンの金融街シティに騎馬像のある初代ウェリントン公爵だった。

そしてロンドンでカトリックのウェストミンスター大聖堂(右の画像)の建設が始まったのが西暦1895年のことだった。

念の為に書いておくけど、英国国教会のウェストミンスター・アビーとカトリックのウェストミンスター大聖堂は別の建物だから間違えないように。私は間違えたことが有るんだけどね。

そして西暦1995年、イギリス女王エリザベス2世がウェストミンスター大聖堂で典礼に参加したんだそうな。イギリスの国王がカトリックの典礼に参加したのは、ヘンリー8世以来、数世紀ぶりのことだったらしい。もちろん、エリザベス女王がカトリックに改宗することを意味しないだろうけどね。

西暦2013年、イギリス王室についての新しい法律が制定され、男女を問わず第1子に優先的な王位継承権が与えられることになった。また王家の人々がカトリックと結婚することも許されることになった。でも、カトリックがイギリスの国王になることは引き続き禁止されている。

ちなみに、この新法はエリザベス女王の孫でチャールズ皇太子の長男のウィリアム王子とキャサリン妃の赤ちゃんが生まれる前に制定されたもの。もし女の子が生まれても王位を継承できるようにということだったろうね。

結局のところは男の子が生まれ、ジョージ王子と名づけられ、イギリス国王となればジョージ7世と呼ばれることになる。ちなみに、この名前はエリザベス女王の父君のジョージ6世から受け継いだものだね。ついでながら、ジョージ6世は映画「英国王のスピーチ」の物語の主役だったりする。

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