フランスの首都パリのクリスマスフランスの首都パリを旅する上での難問の一つは、どの季節に行くか ・・・ かもしれない。花々の咲く春も良いし、陽が長くなる夏も、木々が色づく秋も良いし ・・・ 。ところが、陽が短くて冷え込む冬だって、なかなか捨てたもんじゃないんだ。クリスマスのイルミネーションに飾られたパリもステキなんだよ。例えば、下の画像は、光り輝くクリスマスの頃のシャンゼリゼ通りをエトワール凱旋門のあたりから眺めた様子だね。
ところが、冬のパリはキレイなだけじゃない。時に襲ってくる大寒波、そして飢饉。そんな冬が歴史に残る大事件も引き起こしたときもある。その一つが西暦1830年の七月革命だったかもしれない。
大寒波、ブルボン復古王政の反動、フランス七月革命フランス革命の後、フランス皇帝ナポレオンも没落し、ブルボン家の復古王政により即位したルイ18世が亡くなり、その弟のシャルル10世の反動的な政治に人々は反発していた。そして西暦1829年から翌年にかけての冬、記録的な寒波がパリを襲い、多くの人々が凍死したらしい。そんな状況の西暦1830年3月、国会で内閣不信任案が可決された。でも、フランス王シャルル10世は、国会を解散して対抗した。しかし、選挙の結果はシャルル10世に対して批判的な勢力が躍進したんだ。 ところが、フランス王シャルル10世は七月王令によって民意を抑え込もうとした。出版の自由は停止、選挙を終えたばかりの議会は招集することなく再び解散などなど。
そして民衆が立ち上がった。シャルル10世が動員した軍と衝突しながらも、パリの人々は戦い続け、市役所、ノートルダム大聖堂などを占拠していった。(そんな人々の中には後に小説「三銃士」を著した作家アレクサンドル・デュマ・ペールもいたらしい。)
ところで、フランスを代表するワインを生み出すブルゴーニュ地方でも毎年11月に「栄光の三日間」と呼ばれる行事がある。但し、こちらは革命とは全く関係なく、つまりはワイン祭りなんだけどね。ブルゴーニュ・ワインの商都ボーヌにあるオスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)などを中心に、ワインに関する様々なイベントがあるらしい。見たことは無いけど。
シャルル10世の亡命とルイ・フィリップの即位パリの人々は約800名の死者、数千人の負傷者を出しながらも、テュイルリー宮殿(下の画像はテュイルリー庭園)を攻略し、ブルボン復古王政のフランス王シャルル10世は亡命したわけだ。
そして立憲君主制の七月王政が成立し、ルイ・フィリップが市民たちの支持を得て即位したんだ。ちなみに、ルイ・フィリップはヴェルサイユ宮殿の中のグラン・トリアノンに住むことを選んだらしい。
他方でフランス七月革命はヨーロッパの他の国々にも影響を与えている。例えば隣国のベルギーでは独立運動を惹き起こした。フランスはそのベルギーがオランダの支配から脱する為の戦いを支援したんだそうな。
同じくフランス七月革命はイタリアにも影響を及ぼした。当時のイタリアはいくつもの小国に分裂していたんだけど、統一運動が活発化したんだ。でも、保守的なローマ教皇グレゴリウス16世がオーストリア軍を呼び込み、イタリア統一運動を封じ込めたんだそうな。
エトワール凱旋門の完成とナポレオンの帰還このルイ・フィリップによる七月王政において、皇帝ナポレオン時代に着工しながらもブルボン復古王政時代に工事が中断されていたエトワール凱旋門が完成されている。西暦1836年のことだった。更には、大西洋に浮かぶセント・ヘレナ島に埋葬されていたナポレオンの亡骸がパリに帰還し、エトワール凱旋門を経て、アンヴァリッド 廃兵院に改葬されているんだ。(今もアンヴァリッド 廃兵院に行けばナポレオンのお墓を見ることができる。)
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