ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1840年、ナポレオンの亡骸がフランスの首都パリに帰還し、アンヴァリド(廃兵院)に安置された。


セント・ヘレナ島で亡くなったナポレオンの遺言

西暦1815年のワーテルローの戦いに敗れて百日天下を失ったナポレオン。大西洋に浮かぶセント・ヘレナ島で元フランス皇帝ナポレオンが亡くなったのは西暦1821年5月5日午後5時49分のことだった。

ナポレオンは、その遺言の中でフランスの首都パリを流れるセーヌ川のほとりでフランス国民に囲まれて眠りたい、と望んでいたんだそうな。

ところが、ナポレオンを監視していたイギリス軍は、彼の亡骸をセント・ヘレナ島に埋葬してしまった。まだまだ英雄ナポレオンの記憶が鮮明だった西暦1821年当時は、彼の亡骸をフランスに帰還させることによる政治的な影響が計り知れなかったんだろうね。

フランスの首都パリのオルセー美術館のテラスから眺めたセーヌ川、ルーブル美術館、テュイルリー庭園

上の画像は亡くなる間際のナポレオンが夢見たパリを流れるセーヌ川。南岸のオルセー美術館のテラスからの眺めなんだ。川岸の木々はテュイルリー庭園なんだけど、ここはかつてナポレオンが住んだこともあるテュイルリー宮殿の庭園だった。その右側の建物は、有名なルーブル美術館だね。

フランスの英雄ナポレオンがパリに帰還

フランスの英雄ナポレオンが亡くなって20年近く経った西暦1840年、ようやく彼の亡骸がフランスの首都パリへ帰還することが許された。ナポレオンが敗れて復活したブルボン王家のシャルル10世が西暦1830年の七月革命で亡命し、ルイ・フィリップが王となった後のことだった。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院のドーム教会のドーム

元フランス皇帝ナポレオンの亡骸は西暦1840年12月15日にパリに帰還した。生き残りの近衛兵たちにつきそわれたナポレオンの棺は、人々の歓声に包まれてパリの街を進み、エトワール凱旋門を経て、やがてセーヌ川南岸にあるアンヴァリッド(廃兵院)に到着。上の画像は、そのアンヴァリッド(廃兵院)のドーム教会のドームだね。

アンヴァリッド 廃兵院の中のナポレオンのお墓

そしてアンヴァリッド 廃兵院の中に改葬されたナポレオンのお墓が下の画像だ。私もそうだけど、少なくない観光客がナポレオンのお墓を見に来ていたよ。ナポレオンも静かに眠ってはいられないね。でも、世界の英雄だから仕方ないね。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院にあるナポレオンのお墓

でも、本当に戸惑っているのは、このアンヴァリッド 廃兵院を創設したフランス王ルイ14世太陽王だろうね。自分の子孫のルイ16世や王妃マリ・アントワネットを処刑するに至ったフランス革命からのし上がってフランス皇帝となったナポレオンが、自分が創設したアンヴァリッド 廃兵院の中に改葬されるとは思わなかっただろうな。

ついでに言えば、このアンヴァリッド 廃兵院に保管されていた武器弾薬を奪ったパリの民衆がバスチーユ要塞を襲ってフランス革命の火が燃え広がったのも、太陽王ルイ14世には想定外だったろうけどね。

アンヴァリッド 廃兵院から見下ろすナポレオン像

ともあれ、下の画像はアンヴァリッド 廃兵院の建物から見下ろすナポレオンの像なんだけど、まるでアンヴァリッドの主のようにも見えるよね。

フランスの首都パリのアンヴァリッド 廃兵院の建物から見下ろすナポレオンの像

ちなみに、アンヴァリッド 廃兵院の中には軍事博物館もあるんだけど、そこではフランス皇帝ナポレオンの肖像画を見ることができる。ついでながら、ルーブル美術館では、パリのノートルダム大聖堂で行われた皇帝ナポレオンの戴冠式を描いたダヴィドの絵もあるね。

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