イギリスのカトリック教徒解放法と解放者オコンネルイングランド王ヘンリー8世はローマのカトリック教会と訣別し、英国国教会を組織したよね。更にはその後もカトリック陰謀事件やジェームズ2世に対する名誉革命などもあり、イングランドではカトリック教徒は差別され、不利な立場に置かれていたんだ。ところが、それで大迷惑をこうむったのが、カトリック教徒が多数派を占めるアイルランドの人々だった。アイルランドは長くイングランド王の統治下にあったんだけど、西暦1801年には自治をも奪われてイギリスとの連合王国に統合されてしまった。その結果、アイルランドのカトリック教徒もイングランド同様に差別されることになってしまった。
そんな状況を覆し、西暦1829年にカトリック教徒解放法を勝ち取ったのが、アイルランドの政治家ダニエル・オコンネル(「解放者」とも呼ばれる)だった。上の画像はアイルランドの首都ダブリンのオコンネル通りにある彼のモニュメントなんだ。
カトリック教徒解放法とウェリントン公爵といっても、アイルランドの政治家ダニエル・オコンネルの努力だけでは、イギリスでカトリック教徒解放法は成立しなかったかもしれない。法律の成立においては、ウェリントン公爵の尽力が大きかったみたい。(下の画像はイギリスの首都ロンドンの金融街シティに立つ彼の像。)
首相となっていたウェリントン公爵は、法案成立に向けて議会を導き、更にはカトリック教徒解放法の成立をしぶる国王ジョージ4世に対しては辞任するとの脅しを以て説得し、ついには法案を成立させたんだそうな。ちなみに、フランス皇帝ナポレオンに対するワーテルローの戦いの英雄でもあるウェリントン公爵は、ダブリンの生まれだったそうな。
ロンドンのウェストミンスター・カテドラルの建設西暦1829年にイギリスのカトリック教徒解放法が成立しても、長く不利益な状況に置かれていたイギリスのカトリック教徒の立場が一気に改善したわけではなかった。
例えば、ロンドンにカトリック教徒の為のウェストミンスター大聖堂(上の画像)の建立を始めることができたのが、ようやく西暦1895年のことだった。そのカトリック教徒の大聖堂での展礼にイギリス女王エリザベス2世が参加したのが西暦1995年なんだけど、それがカトリック教会と訣別したヘンリー8世以来のことだったそうな。
アイルランドのカトリック教徒の微妙な状況イングランド王ヘンリー8世がローマのカトリックと訣別し英国国教会を組織した際、同様にアイルランドでもアイルランド国教会が組織された。その結果、アイルランドのカトリック教徒が通っていた教会などは国教会に移管されてしまった。その後、上に書いたように西暦1922年にアイルランド自由国が成立したけれども、今も歴史ある古い教会などはアイルランド国教会に帰属しているんだそうな。今もアイルランド国内では昔と同じくカトリック教徒が多数派なんだけどね。
そんなわけで、ダブリン市内にある聖パトリック大聖堂(アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックの名にちなむ)やクライスト・チャーチ(上の画像)は、今もアイルランド国教会に帰属している。但し、カトリック教会は今でもカトリックのダブリン司教の司教座はクライスト・チャーチにあると主張しているんだけどね。
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