ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1482年、地中海貿易でにぎわうスペイン東部の街ヴァレンシアでラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(絹の商品取引所)の建築が始まった。


アラゴン・カタルーニャ連合王国支配下のヴァレンシア

西暦711年にジブラルタルを経てイスラム教徒が侵攻して西ゴート王国を滅ぼし、その3年後にはヴァレンシアもイスラム教徒によって征服されたらしい。そんなヴァレンシアを奪い返したのは、西暦1238年に征服したアラゴン・カタルーニャ連合王国の王ハイメ1世だった。(但し、11世紀末の数年間は中世スペインの英雄エル・シドがヴァレンシアを支配していた。)

スペインとヴァレンシアの略図

バルセロナを中心都市の一つとしていたアラゴン・カタルーニャ連合王国は、元々地中海貿易を活発に行っていた。そんな王国の支配下となったヴァレンシアも、イタリアの水の都ヴェネツィアなどと競いつつ、地中海貿易の中心として発展していったわけだ。

ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所

地中海貿易で発展したヴァレンシアは、15世紀に最盛期を迎えたらしい。そんなヴァレンシアの商取引の中心として西暦1482年から建てられたのが、世界遺産となっているラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所だった。

ヴァレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の中にある柱のサロン(スペイン)

上の画像はそんなラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の中にある柱のサロンと呼ばれる広間の様子なんだ。かつてはここに並べられた机の上で商人たちが取引を行っていたんだそうな。

ついでながら、新大陸アメリカを発見したコロンブスに資金を提供したのはカスティーリャ女王イサベル1世だったけれども、その女王に資金を融資したのがヴァレンシアの商人たちだったそうな。但し、新大陸アメリカとの貿易はスペイン南部アンダルシア地方の街セビリアの独占とされた結果、ヴァレンシアの商人たちは関与できなかったんだけどね。

裁判所や牢獄もあったラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所

このラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の中には、商事裁判所もあったらしい。その裁判所は13世紀後半からの歴史を持ち、ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の完成後にその中に移されたんだそうな。

ヴァレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の外観(スペイン)

またラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の中には礼拝所もあり、商人たちは神に祈りを捧げてから取引を始めたんだそうな。他方で、上の画像の左側の建物がラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所なんだけど、その塔の中には牢獄もあった。支払を行うことの出来なかった商人は、その牢獄に閉じ込められたんだそうな。

向かいには中世から続くメルカド(市場)

そんな地中海貿易でにぎわっていたヴァレンシアの中心となっていたラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の向かいには、大きなメルカド(市場)もある。その場所には、中世から市場が設けられていたんだそうな。

ヴァレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 絹の商品取引所の向かいのメルカド 市場に並ぶ生ハム(スペイン)

上の画像はそんな由緒あるヴァレンシアのメルカド(市場)の中の様子なんだけど、私の大好物のスペイン生ハム(ハモン)がずらり。スペインのワインを飲みながら生ハムをかじり、熱いフラメンコを眺めるのが良いよね。(イギリスの首都ロンドンに住んでいた頃、市内のフラメンコの店でよくそうしていたんだけどね。)

次のページ



姉妹サイト ヨーロッパ三昧

ヨーロッパ三昧

このサイト「ヨーロッパの歴史風景」の本館が「ヨーロッパ三昧」です。イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプト・ロシア・アゼルバイジャンなど25国45編の旅行記を掲載しています。こちらも遊びに行ってみてくださいね。

「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

Copyright (c) 2002-2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
管理・運営 あちこち三昧株式会社
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。