神学博士 ヨハン・ゲオルク・ファウストヨハン・ゲオルク・ファウストは西暦1480年にドイツの街ハイデルベルクで生まれたらしい。但し、実は確かなことはわかっておらず、生まれた年・場所についてはいろんな異説があるみたいだけどね。(下の画像はハイデルベルクの街の様子。)
ある説によれば、ヨハン・ゲオルク・ファウスト(長いから以下ではJ.G.ファウストと書く)は西暦1509年にハイデルベルク大学で神学博士号を授与されたらしい。その後の彼については放浪の錬金術師、占星術師、そして魔術師など様々な記録があるんだそうな。
悪魔メフィストと契約したJ.G.ファウストそんなJ.G.ファウストについて神を冒涜する者であると教会が告発したとされている。あるいは自らの魂と引き換えに悪魔メフィスト(メフィストフェレス)の力を借りる契約を結んだとも言われていたとか。(右の画像は鳥取県の境港にある水木しげるロードに立つメフィストの像。メフィストは水木しげるの「悪魔くん」の登場人物になっていた。)そんなJ.G.ファウストの話は16世紀の後半には伝説となり、人形劇などにも取り上げられたんだそうな。そんな人形劇を見た子供の一人がドイツの文豪ゲーテだった。そして成長したゲーテは代表作「ファウスト」を著したわけだ。 ゲーテの「ファウスト」第一部においては、神と悪魔メフィストが賭けをするところから始まる。人間を誘惑して悪を行わせることができると賭けたメフィストは、ファウストに近づき、契約を結んだんだ。 知識欲のかたまりだったファウストは、魔法によってこの世の全てを経験させてやるという悪魔メフィストの誘いに乗り、その対価として自分の魂を与えるとの契約を結んだのがゲーテのファウストだった。 ゲーテのファウストは牢獄に入れられた恋人グレートヒェンを悪魔メフィストの力を借りて助け出そうとした。しかし、彼女は悪魔の力を借りることを拒んだんだ。ゲーテのファウストは嘆いた。でも、彼女は救われたと天使は告げたらしい。
皇帝に仕えた J.G.ファウスト話を実在した J.G.ファウストに戻そう。ある記録によれば、彼は馬と犬を連れて旅をしていたとか。その犬は時として召使に変身したという話もある。ちなみに、ゲーテのファウストにおいて、悪魔メフィストが最初にファウストに近づいた時には犬の姿をしていたとされているらしい。再び実在の J.G.ファウストの話。皇帝のイタリアにおける勝利は彼が魔法で手助けをしたおかげだったと彼は自慢していたとか。J.G.ファウストと同世代の出来事であるならば、ハプスブルク家の皇帝カール5世が西暦1527年にイタリアに攻め込んだことがそれだろうか。その結果として神聖ローマ帝国軍によるローマ劫略が起こったんだけどね。(下の画像は高台から眺めたイタリアの首都ローマ。)
他方でゲーテの「ファウスト」第二部においては、彼はまず古代ギリシャ神話の美女ヘレネに恋をする。その恋が消え去った後、ゲーテのファウストは皇帝に仕え、彼のおかげで皇帝は戦いに勝利を得た。
ゲーテの「ファウスト」子供の頃に J.G.ファウストの人形劇を観たゲーテは、西暦1774年頃に戯曲「ファウスト」を著し始めたとされている。彼は西暦1749年生まれだから、25歳の頃ということになるね。そして「ファウスト 第一部」が発表されたのは西暦1808年のこと。ゲーテは59歳になっていた。(下の画像はライプツィヒで買ったゲーテの「ファウスト」のミニチュア本。赤いペンのキャップの比べれば、この本の小ささがわかるね。でも本格的に革装してある。)
西暦1832年、ゲーテが亡くなった。82歳になっていた。彼の「ファウスト 第二部」が発表されたのは、その翌年のことだった。まさに彼の生涯をかけての作品がこの「ファウスト」ということになるのかも。子供の頃に観た人形劇の魔法使い J.G.ファウストの魔法が解けなかったんだろうね。
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