百年戦争を耐え抜いたフランスのモン・サン・ミシェルフランス北部ノルマンディー地方にある世界遺産 モン・サン・ミシェルといえば、中世からの長い歴史を持ち、多くの巡礼を集めた聖地だよね。
でも、聖地モン・サン・ミシェルはフランスとイギリスとの百年戦争を耐え抜いた要塞だったとも言えるんだろうね。上の画像でも、分厚い城壁が見えているけどね。
モン・サン・ミシェルを攻囲したイギリス軍西暦1415年のアジャンクールの戦いに大勝したイギリス軍は、フランス北部ノルマンディー地方の各地を占領していった。リチャード獅子心王が築き、フランス王フィリップ2世尊厳王(オーギュスト)が奪ったガイヤール城も攻略し、フランスの首都パリもイギリス軍の支配下に落ちてしまった。そんな状況下、フランス北部ノルマンディー地方でイギリス軍に対して孤軍奮闘していたのがモン・サン・ミシェルだった。
そのモン・サン・ミシェルの修道院からの眺めが上の画像なんだけど、海の中に浮かぶ小さな島が見えるかな。そのトンブレンヌ島を占領したイギリス軍は、西暦1424年にモン・サン・ミシェルを攻囲したんだ。
モン・サン・ミシェルに物資を届けた中世の港町サン・マロの艦隊海も陸もイギリス軍によって包囲されたモン・サン・ミシェル。食糧などの物資の補給も来ない。陥落するのも時間の問題だよね。
そんなモン・サン・ミシェルから遠くないところに、中世の港町サン・マロ(上の画像)があった。多くの私掠船を擁し、英仏海峡を通る船から通行料を取る港だった。
大天使サン・ミシェル(聖ミカエル)とジャンヌ・ダルクやがてフランスの救世主ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放し、フランス軍は攻勢に転じた。西暦1433年にイギリス軍が再びモン・サン・ミシェルを攻囲したものの、結局は撤退に追い込まれている。やがてフランス軍は占領されていた領土の殆どを奪い返し、イギリス軍は撤退していった。長く続いた百年戦争も西暦1453年に終わった。
上の画像はモン・サン・ミシェルの修道院の中で見た大天使サン・ミシェル(聖ミカエル)なんだけど、このモン・サン・ミシェルの修道院は大天使サン・ミシェル(聖ミカエル)のお告げから創設されている。
ついでながら、イタリアの首都ローマにはサンタンジェロ城(聖天使城)がある。西暦590年にこのあたりに大天使 聖ミカエルが姿を見せたことから、古代ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスのお墓がそう呼ばれるようになったんだそうな。
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