ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦590年、イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城近くに大天使 聖ミカエルが姿を見せた。


ローマのサンタンジェロ城

イタリアの首都ローマのヴァティカンの観光の目玉といえば、まずはヴァティカン美術館・博物館サン・ピエトロ大聖堂かな。続いては、サンタンジェロ城だろうか。下の画像はローマを流れるティベレ川にかかるサンタンジェロ橋の上から眺めたサンタンジェロ城なんだ。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ橋から眺めたサンタンジェロ城

この城砦は元々は古代ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスのお墓だった。(ハドリアヌスはイギリス北部スコットランドの国境近くに残るハドリアヌスの長城を築かせた人物だね。)

大天使 聖ミカエルとローマ教皇グレゴリウス1世

そして西暦590年、ローマ教皇グレゴリウス1世はサンタンジェロ城の近くを歩いていた。そこに姿を見せた大天使 聖ミカエルは、ローマの人々を苦しめた疫病が終息することを告げたらしい。そんなわけで、かつての皇帝ハドリアヌスのお墓はサンタンジェロ城(聖天使城)と呼ばれるようになったんだそうな。(上の画像は今のサンタンジェロ城の上に立っている大天使 聖ミカエルの像。)

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城の上に立つ大天使 聖ミカエルの像

ついでながら、この大天使 聖ミカエルはかなり頻繁に姿を見せている。例えば、フランス北部の世界遺産モン・サン・ミシェルの修道院も、聖ミカエル(サン・ミシェル)のお告げによって建立されたもの。フランスとイギリスが長く戦った百年戦争でフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクも聖ミカエルのお告げに従った戦いに赴いたんだそうな。

ローマ教皇が逃げ込んだサンタンジェロ城

上の画像にあるサンタンジェロ城の上に立つ大天使 聖ミカエルのすぐ下は屋上テラスになっている。そのテラスからはローマの眺めを楽しむことが出来るんだ。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ城から眺めたヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂

そして上の画像は、サンタンジェロ城の屋上テラスからヴァティカン宮殿やサン・ピエトロ大聖堂を眺めた様子なんだけど、そのヴァティカンから右下に向かって城壁のようなものが見えるよね。これが実はレオニーネの城壁。その中には敵軍の攻撃を受けたローマ教皇がサンタンジェロ城に逃げ込むための通路がある。

実際にローマ教皇はサンタンジェロ城に逃げ込んだことがある。例えば西暦1527年にハプスブルク家の皇帝カール5世の神聖ローマ帝国軍に攻められたフィレンツェのメディチ家出身の教皇クレメンス7世がそうしている。(クレメンス7世と共に籠城した彫刻家チェッリーニは銃を手に敵兵と戦ったんだそうな。)

その数百年前には、叙任権闘争においてカノッサの屈辱を耐え忍んだ皇帝ハインリヒ4世がリベンジの為に西暦1081年にローマを攻め、教皇グレゴリウス7世がサンタンジェロ城に逃げ込んでいる。ローマ教皇も平和のうちに祈りに明け暮れることはできなかったんだね。

サンタンジェロ橋を飾るバロックの彫刻家ベルニーニの天使像

そんなサンタンジェロ城なんだけど、このページの冒頭の画像でもわかるように、ティベレ川にかかるサンタンジェロ橋の上からの眺めが良いんだ。せっかくならば、その橋の上から見ることをお勧めするね。

イタリアの首都ローマのサンタンジェロ橋の上に立つバロックの彫刻家ベルニーニの天使像のレプリカ

しかも、このサンタンジェロ橋の欄干の上には天使像が並んでいるんだけど、そのうちの2体はイタリア・バロックの彫刻家ベルニーニによるもの。残念ながら今の橋の上の天使像はレプリカなんだけどね。

それでも、サンタンジェロ城の下のベルニーニの天使像を見てから、サン・ピエトロ大聖堂へ向かいたいよね。そのサン・ピエトロ大聖堂にある 広場ブロンズのバルダッキーノ聖ペテロの司教座などのベルニーニの作品を見る前にね。

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