ロワール川のほとりのブロワ城でジャンヌ・ダルクに祝福を百年戦争の終わりも見えない西暦1429年春、フランス西部ロワール川のほとりにあるブロワ城で、ジャンヌ・ダルクとフランス軍兵士たちにランス大司教が祝福を与えた。(下の画像はロワール川とブロワ城の風景。)
ジャンヌ・ダルクとフランス軍兵士たちは、イングランド軍の攻囲を受けているオルレアンの街の救援に向かうところだった。
ジャンヌ・ダルクよ、百年戦争に苦しむフランスを救えジャンヌ・ダルクは西暦1412年にフランスの田舎で農民の娘として生まれたらしい。しかし、12歳の頃、サン・ミシェル(聖ミカエル)たち天使たちのお告げを聞いた。お告げはイングランド軍を追い払い、フランスの王太子を王として戴冠させるようにとジャンヌ・ダルクに命じたんだそうな。 ジャンヌ・ダルクは王太子シャルル(後のフランス王シャルル7世)に会い、ジャンヌ・ダルクを信じた王太子はフランス軍部隊と共に彼女をオルレアン救援に向かわせたわけだ。 右の画像はフランスの首都パリのルーブル美術館やテュイルリー庭園の近くにあるジャンヌ・ダルクの騎馬像なんだけど、ジャンヌ・ダルクは旗手として兵士たちの先頭に立って勇敢に突撃したらしい。ジャンヌ・ダルクは、人を殺すよりも、旗手となることを好んでいた。 ジャンヌ・ダルクによって解放されたオルレアン西暦1429年4月末にオルレアンに到着したジャンヌ・ダルクは、それまでのフランス軍の消極的な姿勢から積極的な姿勢への転換を主張した。そして旗手として先頭に立って突撃するジャンヌ・ダルクの姿は、フランス軍兵士たちの士気を高めたんだそうな。
その結果、フランス軍はイングランド軍の砦をいくつも陥落させ、5月上旬にはイングランド軍は撤退したらしい。オルレアンは救われたわけだ。(上の画像は今のオルレアンの街の様子。)
このオルレアンの解放前の時点でフランス北部ノルマンディー地方の大部分はイングランド軍の手に落ちており、ただ後の世界遺産 モン・サン・ミシェルだけが中世の港町 サン・マロなどからの補給を受けて孤軍奮闘していたらしい。そしてジャンヌ・ダルクの活躍以後、フランス王太子シャルルの軍が反撃を始めるわけだ。
フランス王シャルル7世の戴冠、しかしパリは ・・・それから2ヵ月、ジャンヌ・ダルクや王太子シャルルたちは敵地を進撃し、ついにランスに入った。そこで王太子シャルルはフランス王家の伝統に従って戴冠し、晴れてフランス王シャルル7世となったんだ。その後、ジャンヌ・ダルクやフランス軍は、イングランド軍の手中にあったフランスの首都パリの奪還を目指した。しかしながら、パリを守るイングランド軍を敗走させることができず、結局は王命によってパリから後退することになったらしい。(下の画像はモンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院の階段から眺めたパリの風景。)
オルレアンは救われ、フランス王シャルル7世は戴冠した。でも、百年戦争はまだまだ終わらないんだ。やがてジャンヌ・ダルクも処刑され、イングランド王ヘンリー6世はパリのノートルダム聖堂でフランス王として戴冠し ・・・ とっても長くなるから、続きはまた別のページで。
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