捕えられ異端の罪で処刑されたジャンヌ・ダルクイングランドに攻囲されたオルレアンを解放したジャンヌ・ダルク。フランス王シャルル7世をランスで戴冠させたジャンヌ・ダルク。そのジャンヌ・ダルクが西暦1430年にブルゴーニュ軍に捕われてしまった。イングランド軍は大金を支払ってブルゴーニュ軍からジャンヌ・ダルクの引渡を受けた。そして西暦1431年にはジャンヌ・ダルクに対する異端の裁判が始まった。 その裁判はイングランド軍の支配下にあったフランス北部ノルマンディーの街ルーアンで行われ、もちろんイングランドの圧力に置かれていた。 その異端裁判においては、ジャンヌ・ダルクが聴いたサン・ミシェルたち天使のお告げは、森の精霊のものだったとされたらしい。 そんな異端裁判の判決により、西暦1431年5月、ジャンヌ・ダルクは異端の罪で処刑されたんだ。(右の画像はフランスの首都パリのノートルダム大聖堂にあるジャンヌ・ダルクの像。) 百年戦争のその後、フランスの勝利フランスの救世主だったジャンヌ・ダルクを処刑したイングランド軍は、直ちにフランス軍に対して攻勢をかけたらしい。ノルマンディーにおいては、前年の西暦1430年にフランス軍によって攻略されていた要衝ガイヤール城(下の画像)を奪還している。
更に、その年の12月には、フランスの首都パリのノートルダム大聖堂でイングランド王ヘンリー6世をフランス王として戴冠させている。
フランスを救ったオルレアンの少女ジャンヌ・ダルクの復権他方、異端の罪によって処刑されたジャンヌ・ダルクの母親は、西暦1455年にパリのノートルダム大聖堂でローマ教皇の使者に対して、娘の異端の罪を取り消すように要望した。(下の画像は、そのパリのシテ島にあるノートルダム大聖堂のバラ窓のステンド・グラス。)
そして翌年の西暦1456年、ジャンヌ・ダルクが処刑されたフランス北部ノルマンディー地方のルーアンにおいて、異端裁判の判決が破棄されたらしい。
ローマ・カトリックの聖者とされたジャンヌ・ダルク更には西暦1920年、イタリアの首都ローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂(下の画像)において、ジャンヌ・ダルクがローマ・カトリックの聖者とされている。
聖ジャンヌ・ダルクは、パリのモンマルトルの丘で処刑されたサン・ドニ(聖ドニ)と同じく、フランスの守護聖人となっている。
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