イングランド王にしてフランス王となったヘンリー6世西暦1399年、イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉されていたイングランド王リチャード2世が廃位された。代わってイングランド王となったのが、ランカスター家のヘンリー4世だった。(リチャード2世は、その翌年に亡くなっている。)その息子のイングランド王ヘンリー5世はフランスに対する百年戦争を有利に展開し、西暦1420年に結ばれたトロワ条約でフランス王位の継承権をも得ている。その翌年に生まれたのが、後のヘンリー6世だった。母はフランス王シャルル6世の王女だった。 ![]() イングランド王の戴冠式は西暦1429年に右の画像にあるロンドンのウェストミンスター寺院で行われ、フランス王の戴冠式は西暦1431年にフランスの首都パリのノートルダム大聖堂で行われたらしい。 さすがに首の座らない赤ちゃんに重い王冠を載せるわけにはいかなかったんだろうね。
百年戦争の情勢とイングランド内部での争いしかし、イングランド王ヘンリー6世の治世は危ういものだった。フランスにおける百年戦争は、ジャンヌ・ダルクなどの活躍もあり、イギリスに不利になりつつあった。ヘンリー6世は、フランスでの戦いをお気に入りのサマーセット公に指揮させたが、戦況はむしろ悪化してしまった。![]()
そして、西暦1453年、ついにフランス南西部にあるアキテーヌの中心であるボルドーまでフランスに奪われてしまった。(上の画像は、ボルドーにあるサン・タンドレ大聖堂の様子。)
摂政となったヨーク公リチャード、ばら戦争病気の為に国事を処理できなくなったイングランド王ヘンリー6世に代わって、プランタジネット家のイングランド王エドワード3世の曾孫にあたる第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットが護国卿・摂政となった。他方でヘンリー6世の気に入りのサマーセット公はロンドン塔に幽閉されている。ところが、西暦1454年に病気から回復したイングランド王ヘンリー6世は、ヨーク公を解任し、気に入りのサマーセット公を復帰させている。 そんなこんなでヨーク公リチャードを中心とするヨーク家とヘンリー6世を中心とするランカスター家との間の対立が深まり、ついに西暦1455年にばら戦争が始まったわけだ。 しばらくは双方共に勝ったり負けたりを繰り返していた。しかし、西暦1460年にはヨーク公リチャード・プランタジネットが戦死し、その首はヨークの城門ミクルゲート・バーに吊るされてしまった。
ヨーク家のイングランド王エドワード4世と
ところが、ばら戦争は終わらない。精神を病んでいたイングランド王ヘンリー6世は戦いの最中にも発作を起こすこともあったらしい。西暦1461年には、戦死したヨーク公リチャードの息子がイングランド王エドワード4世として即位している。 |
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