ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1426年、フランス南部プロヴァンス地方の岩山の上の街レ・ボーの支配者ボー一族が断絶した。


プロヴァンス地方の岩山の上の街レ・ボーの支配者ボー一族

フランス南部プロヴァンス地方といえば、フランス王にも臣従しなかったプロヴァンス伯の勢力範囲だよね。(やがて15世紀後半にプロヴァンス伯ルネ・ダンジューが亡くなり、結果的にプロヴァンス伯領はフランス王に帰属することになるんだけど。)

でも、中世のプロヴァンス地方には、そんなプロヴァンス伯に対抗して独立的な勢力を築いていたボー一族がいたんだ。

フランス南部プロヴァンス地方の岩山の上の街レ・ボーの城跡

そんなボー一族の本拠地が、岩山の上の街レ・ボー・ド・プロヴァンスだった。上の画像に見えているのが、レ・ボーの岩山の上に残るボー一族の城跡なんだ。

レ・ボーの支配者 ボー一族の断絶

このボー一族は、10世紀の末にはレ・ボーの支配者としての地位を確立していたみたい。以後は支配者の地位を一族で継承しつつ、その周囲の街や村を支配下に入れていったらしい。(下の画像は、岩山の上のレ・ボーの街のサン・ヴァンサン広場のテラスからの眺め。)

フランス南部プロヴァンス地方の岩山の上の街レ・ボーのサン・ヴァンサン広場のテラスからの眺め

ところが、西暦1426年にボー一族の最後の女当主となったアリス1世が亡くなり、このボー一族は断絶してしまった。以後のレ・ボーはプロヴァンス伯領の一部とされたらしい。

レ・ボー侯爵の地位を受け継いでいるモナコ大公家

その後、16世紀にはカトリックとユグノー(ジャン・カルヴァンの思想に従うフランスのプロテスタント)の対立が激化した。その後もこのあたりではユグノーの勢力が強かったんだけど、17世紀前半にはユグノーがレ・ボーの城にたてこもって反乱を起こしたんだ。その反乱が鎮圧された後、西暦1632年にレ・ボーの城は破却されてしまった。

フランス南部プロヴァンス地方の岩山の上の街レ・ボーの通りの風景

そして西暦1642年、レ・ボー侯爵の爵位がグリマルディ家に与えられた。そのグリマルディ家というのは、モナコ公国の支配者であるモナコ大公家のこと。ちなみに、今のモナコ大公にしてレ・ボー侯爵は、あのハリウッド女優グレース・ケリーの息子さんのアルベール2世となっている。

レ・ボーのワインとオリーヴの木で作られたキッチン用品

その後のレ・ボーの街なんだけど、かつては数千人いた住民も減り、今では人口は数百人になっている。観光の他に主な産業はワインとオリーヴの生産なんだそうな。というわけで、このレ・ボーの街を旅した時に買ってきた土産物が、下の画像にあるワインと塩コショウ入れ。

フランス南部プロヴァンス地方の岩山の上の街レ・ボーで買ったワインとオリーヴの木で作られた塩コショウ入れ

レ・ボーのワインはプロヴァンス地方の平均的なワインよりやや上かなという程度だった。でも、オリーヴの産地だけあって、オリーヴの木で作られた塩コショウ入れはずっと我が家のお宝になっている。塩コショウ入れだけじゃなくて、上の画像には写っていないんだけど、オリーヴの木で作られたサラダ・ボウルもね。

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