モナコ公国このページでは、西暦1297年に今のモナコ公国の中心となる岩を占領したフランソワ・グリマルディあるいはフランシスコ・グリマルディ(モナコ大公家の祖先)について書くんだけど、まずは最初にモナコ公国の場所を押さえておくかな。
上の画像にある略図を参照願いたいんだけど、モナコ公国はフランス南部のコート・ダジュールの地中海岸にある。イタリア国境までは東に 15kmほどと近いんだけど、南は地中海に面していることを除けば、周囲はフランスに囲まれているというわけだ。
ついでながら、このモナコ公国は世界で2番目に小さな国なんだそうな。では、最も小さな国はといえばイタリアの首都ローマにあるヴァティカン市国。他方でモナコ公国よりもちょいと大きな国(ヨーロッパで3番目に小さな国、世界では5番目に小さな国)はサン・マリノ共和国だとのこと。
グリマルディ家以前のモナコ紀元前600年頃に古代ギリシャ人が今のフランス南部プロヴァンス地方のマルセイユに定住し、周辺各地と交易したんだそうな。その古代ギリシャ人は、今のモナコの地にも交易拠点を置いたんだそうな。(下の画像は今のモナコ公国のモナコ港の風景。モナコ公国のカジノで名高いモンテカルロは、モナコ港のすぐ東側にある。)
「モナコ」という地名は、古代ギリシャ人の「モノイコス(一軒家、孤立した家)」という言葉から来ているらしいんだけど、このあたりに古代ギリシャ人が建てたヘラクレスの神殿を指しているとも解されている。
グリマルディ家(今のモナコ大公家)によるモナコ占領その後、西暦1191年に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世がジェノヴァにモナコの地を与え、ジェノヴァ人たちはモナコの岩(今のモナコ・ヴィル)の上に砦を築いたらしい。その後、ゲルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)との対立が激化したジェノヴァから、西暦1296年にゲルフ(教皇派)のグリマルディ家が追放された。 そのグリマルディ家のフランソワ・グリマルディ(あるいはフランチェスコ・フリマルディ)が、修道士に変装してモナコの岩の上にあった砦を奪い、今のモナコ公国の土地を占領したんだそうな。
上の画像に見えている岩が、モナコ公国の中心となるモナコ・ヴィルなんだ。修道士に変装したグリマルディが奪った砦は、あの岩の上にあったんだろうね。今は岩の上にモナコ大公宮殿があるんだけど、上の画像でもちょこっとだけ見えているね。
ついでながら、フランス南部プロヴァンス地方に岩山の上の城跡が印象的なレ・ボー・ド・プロヴァンスという街がある。そのレ・ボーの元々の支配者だったボー一族が15世紀前半に断絶したんだけど、西暦1642年にレ・ボー侯爵の爵位がモナコ大公家に与えられ、その後も継承されている。
モナコ公国の歴代の大公のお墓がある大聖堂下の画像に見えているのは、モナコ公国の岩の上の白亜の大聖堂なんだ。このモナコ大聖堂には、歴代のモナコ大公たちのお墓もある。
ちなみに、今のモナコ大公アルベール2世は西暦2005年に即位したんだけど、その大公の母上はハリウッド女優からモナコ大公妃となったグレース・ケリーなんだ。その大公妃グレース・ケリーもモナコ大聖堂で眠っている。
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