ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1659年、ピレネー条約により、ハプスブルク家のスペイン王フェリペ4世の王女とフランス王ルイ14世太陽王との結婚が取り決められた。


ハプスブルク家のスペイン王フェリペ4世

スペインの首都マドリッドの王宮の東にあるオリエンテ広場の中央には、下の画像にある立派な騎馬像が立っている。この人物がハプスブルク家のスペイン王フェリペ4世なんだ。(この騎馬像の制作者はイタリアの古都フィレンツェポルセリーノを残すピエトロ・タッカ。)

スペインの首都マドリッドの王宮の東にあるオリエンテ広場に立つフェリペ4世騎馬像

このスペイン王フェリペ4世の曽祖父はハプスブルク家の皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)であり、祖父はスペイン王フェリペ2世なんだ。そんな偉大な曽祖父・祖父たちが支配した太陽の沈むことのない帝国を受け継いだのがフェリペ4世だった。でも、このフェリペ4世の時代のスペインは、既に落日の時を迎えていたんだ。

ポルトガルを失ったスペイン王フェリペ4世

曽祖父カール5世(カルロス1世)はスペイン南部アンダルシア地方古都セビリアでポルトガル王女と結婚し、やがて生まれたのがフェリペ2世だった。そんなわけでフェリペ2世は後にポルトガル王にもなっている。

同様にポルトガル王とスペイン王とを兼ねていたフェリペ3世が西暦1621年に亡くなった時、16歳の息子 フェリペ4世はスペイン王となっただけじゃなく、ポルトガルの王位をも継承している。他にもイタリア南部のナポリやシシリア、ネーデルランド南部(今のベルギー)なども継承したんだ。

ポルトガルのシントラの王宮

ところが、即位後のスペイン王フェリペ4世は政治を寵臣に任せっぱなしだっんだけど、西暦1640年にはポルトガルが独自の王を即位させて独立を回復し、フェリペ4世はポルトガルの王位を失ってしまった。(上の画像はポルトガル首都リスボンからも近いシントラの王宮。)

カタルーニャの反乱とフランスの介入

ポルトガルを失った西暦1640年には、スペイン北東部カタルーニャ地方でも反乱(いわゆる収獲人戦争)が起きている。スペイン王フェリペ4世がカタルーニャ地方に置いたカスティーリャ軍に対して人々が反発したことに加えて、軍事費を現地で調達したことも反乱の背景にあったらしい。

スペイン王フェリペ4世に対して反乱を起こしたカタルーニャを支援したのが、三十年戦争でスペインと戦っていたフランスだった。フランス王ルイ13世はバルセロナ伯を称して、カタルーニャ地方に軍を配置したんだ。(下の画像はカタルーニャ地方の街バルセロナにある海の聖母マリア教会。)

スペイン北東部カタルーニャ地方の州都バルセロナにある海の聖母マリア教会の入り口

三十年戦争が終結した後もカタルーニャ地方の反乱は続き、スペイン王フェリペ4世の軍がバルセロナを攻略できたのは、西暦1652年のことだった。その後もスペインとフランスの対立は続き、ようやく西暦1659年のピレネー条約によって和平が戻ってきたんだ。

スペインの王女とフランス王ルイ14世との結婚

そのピレネー条約によってスペインはピレネー山脈の北側の領土をフランスに割譲することとなった。加えて、スペイン王フェリペ4世の王女マリア・テレサ(フランスではマリー・テレーズ)とフランス王ルイ14世太陽王の結婚が取り決められた。その二人の結婚式は、翌年の西暦1660年に挙行されている。(余談ながら、ルイ14世はそのついでにフランス南部プロヴァンス地方にあるポン・デュ・ガールを見に行ったらしい。)

それから40年が経ち、西暦1700年にフェリペ4世の息子のスペイン王カルロス2世が後継者を残さずに亡くなった。その結果、スペイン王となったのはフランス王ルイ14世太陽王の孫でブルボン家のフェリペ5世だった。その祖母がスペイン王女(ルイ14世の王妃となったマリア・テレサ)だったことから、スペイン王位を継承したわけだ。

ちなみに、ピレネー条約の規定では、ルイ14世と結婚する上で王女マリア・テレサはスペイン王位の継承権を放棄することになっていた。ところが、その条件がスペインによる持参金の支払だった。でも、スペインはその持参金を支払うことができなかったんだ。それこそがスペインの落日を物語るよね。結局、持参金の不払いの故に王女マリア・テレサの王位継承権は維持されたというのが、フランス側の言い分だよね。

とはいえ、オーストリアのハプスブルク家もスペインの王位継承権を主張し、スペイン継承戦争が起こっている。それでも結局はフランス側が勝利を得て、ブルボン家のルイ14世の孫がスペイン王フェリペ5世として即位したわけだ。ちなみに、今のスペイン国王フアン・カルロス1世もブルボン家(スペインではボルボン家)の子孫にあたるらしい。

そんなこんなでポルトガルやカタルーニャ北部を失い、オランダの独立を阻止することも出来ず、嫁にやった王女の持参金を支払うことも出来ない落日のスペインの王がフェリペ4世だった。

芸術を愛し、国民には愛されたスペイン王フェリペ4世

そんなスペイン王フェリペ4世だったけれども、少なくともカスティーリャ王国の国民からは愛されたらしい。マドリッドの中央政府に対して反発の強いバルセロナなどのカタルーニャの人々は別だろうけど ・・・ 。

加えて、芸術を愛する点においても特筆すべきものがあった。例えば、スペインを代表する画家ベラスケスや、当時はスペイン支配化にあったネーデルラント南部(今のベルギー)の画家ルーベンスを支援していたそうな。(ベルギーの街アントワープノートルダム大聖堂に行けば、ルーベンスの宗教画を見ることが出来る。)

スペインの首都マドリッドのプラド美術館で見たベラスケスの絵「女官たち」

そして上の画像はベラスケスの絵「女官たち」だね。スペインの首都マドリッドのプラド美術館で見ることができるんだけど、そのプラド美術館の展示品の多くを集めたのも、落日のスペインの王フェリペ4世だったと言われている。なんだか人柄は良いけど芸事にうつつを抜かして御店をつぶしちゃった豪商の3代目みたいな王様だね。

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