ローマのサン・ピエトロ大聖堂前の広場に集まる多くの人々ある年の6月、イタリアの首都ローマのホテルに泊まっていた私は、地元のテレビの画面を見て驚いた。そこに映し出されていたのは、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の前のサン・ピエトロ広場に集まったとんでもなく多くの人々(下の画像)だった。
何事が起こったのかと思えば、20世紀のイタリアの奇跡の人 パドレ・ピオ(ピオ神父)が聖人の列に加えられるというので、そのためのミサに人々が集まっていたということらしい。なるほど、こんなことがあるからサン・ピエトロ大聖堂の前には大きな広場が必要なんだね。
イタリア・バロックの巨匠ベルニーニによるサン・ピエトロ広場それから数日が経ち、ローマに戻ってきた私が歩いた時のサン・ピエトロ大聖堂の前の広場の様子が下の画像なんだ。歩く人影もまばらなんだけど、数日前のあの大混雑の様子を思えば、このサン・ピエトロ広場も無駄ではないと納得だよね。
西暦1656年、ローマ教皇アレクサンデル7世によって大聖堂前のサン・ピエトロ広場を整備するようにとの指示が出された。それを受けて広場を設計したのが、イタリア・バロックの彫刻家ベルニーニだった。彫刻から建築にまで活動範囲を広げたベルニーニに与えられた命題の一つは、「なるべく多くの人々を収容する広場を作ること」だったそうな。 サン・ピエトロ広場を取り囲むベルニーニの列柱廊ローマ教皇の期待に応えてサン・ピエトロ広場を設計したベルニーニは、広場の左右に列柱廊を作った。下の画像は大聖堂に向かって右側の列柱廊なんだけど、左側にも同様の列柱廊があるんだ。
そんなサン・ピエトロ広場と列柱廊に関して、設計者ベルニーニの言葉が残されている
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他方で、サン・ピエトロ広場の設計において、ベルニーニはちょっとした工夫をしているらしい。それは左右の列柱廊の高さを低く抑えることだった。その結果、中心にあるサン・ピエトロ大聖堂がより大きく見えることを期待したんだそうな。
サン・ピエトロ大聖堂の中で見るバロックの彫刻家ベルニーニサン・ピエトロ広場を歩き、初代ローマ教皇とされる聖ペテロの墓の上に建てられたと言われるサン・ピエトロ大聖堂の中に入る。まずは右手にあるミケランジェロのピエタに目を奪われるんだけど、大聖堂の奥に見える眺めが下の画像なんだ。
サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(円屋根)の下、聖ペテロの墓の上にあるのが、ブロンズのバルダッキーノ(天蓋)なんだ。更にその奥、後陣には「カテドラ・ペトリ(聖ペトロの司教座)」がある。どちらもイタリア・バロックの巨匠ベルニーニの作品なんだ。
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