ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1634年頃、イタリアの古都フィレンツェにポルセリーノ(子豚)と呼ばれるイノシシ像が完成した。


フィレンツェの街角にポルセリーノ(子豚)と呼ばれるイノシシ像

イタリアの古都フィレンツェを歩いた人ならば、下の画像にあるイノシシ像を見たことがあるかな。この像は現地ではポルセリーノ(子豚)と呼ばれているんだそうな。

イタリアの古都フィレンツェにあるポルセリーノ(子豚)と呼ばれるイノシシ像

フィレンツェ市内のメルカート・ヌオーヴォ(新市場)の開廊にあるこのイノシシ像の口の中にコインを置き、それが上手く落ちれば、ポルセリーノの鼻をなでてやる。そうすれば再びフィレンツェを訪れることができるとか。

多くの人々に鼻をなでられたおかげで鼻のあたりがピカピカになっているイノシシ像なんだけど、実は西暦1634年(1612年説、1630年説もあるけど)に完成したという実は歴史ある彫像だったりする。メディチ家のトスカナ大公がピッティ宮殿の裏のボボリ庭園に置くつもりで発注したものだった。

そんな由緒ある彫像を街角に置いておくのもいかがなものか。というわけで、西暦2004年からポルセリーノ(子豚)のオリジナルはバルディーニ美術館に移されたらしい。フィレンツェの街角には代わりにレプリカが置かれているわけだ。

ジャンボローニャの弟子だった彫刻家ピエトロ・タッカ

由緒あるポルセリーノ(子豚)を作り上げたのが17世紀前半に活躍した彫刻家ピエトロ・タッカだった。彼はマニエリスムの彫刻家ジャンボローニャの弟子となり、そこで彫刻を学んだらしい。

そして西暦1608年に師匠のジャンボローニャが亡くなり、弟子のピエトロ・タッカが師匠を継承したわけだ。彼は師匠が受注していたフランス王アンリ4世の騎馬像やスペイン王フェリペ3世の騎馬像などを完成させている。

スペインの首都マドリッドのマヨール広場にあるスペイン王フェリペ3世騎馬像

上の画像はスペインの首都マドリッドのマヨール広場に今もあるフェリペ3世騎馬像の様子。他方でフランス王妃マリー・ド・メディチの注文によって制作されたフランス王アンリ4世の騎馬像はパリにあったんだけど、フランス革命の際に破壊されてしまったんだそうな。

マニエリスムからバロックに転じた彫刻家ピエトロ・タッカ

マニエリスムの彫刻家ジャンボローニャの継承者となった彫刻家ピエトロ・タッカは、やがてバロック様式に転じている。17世紀のイタリアはカラヴァッジョベルニーニなどが切り開いたバロックの時代になっていたからね。

そんな彼はフィレンツェの支配者であるメディチ家の庇護も受けていた。そんな関係もあり、フィレンツェにあるメディチ家の礼拝堂には、彼の制作による第3代トスカナ大公フェルディナンド1世の像も残されている。

スペインの首都マドリッドの王宮の前に立つスペイン王フェリペ4世騎馬像

そんな彫刻家ピエトロ・タッカが残した作品の一つが、上の画像にあるスペイン王フェリペ4世騎馬像。マドリッドの王宮の前にあるこの作品を作り始めたのが西暦1634年。完成したのは6年後の西暦1640年のこと。その完成後にピエトロ・タッカは亡くなったんだそうな。

世界各地にあるポルセリーノ(子豚)

そんなわけでフランスやスペインの王家やメディチ家の発注を受けて王たちの騎馬像などを制作していた彫刻家ピエトロ・タッカなんだけど、彼の作品で最も人気があるのはポエルセリーノ(子豚)だよね。オリジナルはフィレンツェの美術館の中に入っちゃったけど、彼のイノシシ像のレプリカは世界各地で見ることが出来るんだそうな。

イタリアの古都フィレンツェから贈られたポルセリーノ(子豚)と呼ばれるイノシシ像のレプリカがオーストラリアのシドニーにある

例えば上の画像はオーストラリアの街シドニーの病院の前に置かれたイノシシ像。西暦1968年にイタリアから贈られたものらしいよ。

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