ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1594年、イギリスのロンドンにある法律学校グレイズ・インでシェイクスピアの「間違いの喜劇」が上演された。


ロンドンのグレイズ・インで上演されたシェイクスピアの喜劇

イギリスの首都ロンドンには、法廷弁護士や裁判官などの法律家を養成する四つの法律学校がある。どれも長い歴史を持っているんだけど、その一つがグレイズ・イン(下の画像はその庭)なんだ。

イギリスの首都ロンドンにある法律学校グレイズ・インの庭

その長い歴史の間には色々なことがあったみたいだけど、西暦1594年にはこのグレイズ・インでシェイクスピアの「間違いの喜劇」という作品が上演されたらしい。

なんでまた法律学校でシェイクスピアの、それも喜劇が ・・・ という疑問ももっともなんだけど、当時のグレイズ・インでは、復活祭やクリスマスなどの際にはここでお祭り騒ぎをやっていたんだそうな。法律家の学校といっても、学生たちは騒ぐのが好きなんだろうね。今の大学の学園祭みたいなものかもしれないね。

法律学校 グレイズ・インの歴史

シェイクスピアの喜劇の上演も歴史の一こまなんだけど、この法律学校 グレイズ・インの歴史が長いんだ。

遅くとも西暦1370年には設立されていたらしい。ちなみに、グレイズ・インという名前なんだけど、当初の学校がグレイ男爵のお屋敷の中にあったから、そのお名前からグレイズ・インとなったんだそうな。但し、そのグレイさん、西暦1456年にはお屋敷を売っちゃったらしいけどね。

16世紀に入るとイングランド王ヘンリー8世ローマの教皇と訣別して英国国教会を組織し、修道院の解散を進めたよね。そんな動きに対するカトリックの反乱が北部のヨークなどで起きるんだけど、その一つである「恩寵の巡礼」という反乱の指導者だったロバート・アスクという人物もこのグレイズ・インのフェローだったそうな。そのアスク氏は反乱に失敗して西暦1537年にヨーク城のクリフォード・タワーで処刑されちゃったんだけどね。

そんなことがあっても、イングランド女王エリザベス1世などの有力なパトロンが支援して、このグエリズ・インはロンドンにあった四つのインの中でも最大だったんだそうな。上に書いたシェイクスピアの喜劇の上演はそんな時代のことだったわけだね。

ところが、やがてグレイズ・インにも衰退の時代が来たらしい。特に西暦1642年から始まった清教徒革命の内戦の時代には、法律家の養成は停止状態になったんだそうな。イギリスの王政復古の後もグレイズ・インの低迷は続いたらしい。

更に第二次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンの際の空襲によって、グレイズ・インの建物の多くも損壊しちゃったそうな。その再建が終わったのは西暦1960年のことだったと。そんなわけで四つのインの中でも今のグレイズ・インは最も小さいらしい。でも、長い歴史は誇るべきものだよね。

大好きなフィッシュ・アンド・チップスを食べる場所

こんなグレイズ・インの庭は私にとってとっても懐かしい場所なんだ。といっても、ここで法律の勉強をしたわけじゃないよ。ロンドンのオフィスで働いている頃、お昼休みにはグレイズ・インの近くの店でフィッシュ・アンド・チップス(下の画像)を買ってきて、この庭のベンチで食べたんだ。

イギリスの首都ロンドンにある法律学校グレイズ・インの庭で食べるフィッシュ・アンド・チップス

ついでながら、このグレイズ・インの近くには、感じの良いパブもあった。そのパブに行けば、そこでビールを飲んでいるグレイズ・インの学生さんもたくさん見かけたもんだ。

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