ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1616年、イギリスのシェイクスピアがストラトフォード・アポン・エイボンで亡くなった。


シェイクスピアが引退してストラトフォード・アポン・エイボン

西暦1613年、シェイクスピアが49歳になった。イギリスの首都ロンドンに出てきて既に10年以上が経ち、劇作家として大成功していた。が、そんなシェイクスピアが引退してしまったんだ。

イギリスのストラトフォード・アポン・エイボンにあるニュー・プレイス跡(シェイクスピアが晩年を過ごした場所)

引退したシェイクスピアは、生まれ故郷のストラトフォード・アポン・エイボンに戻ってきた。上の画像にあるのは、シェイクスピアが晩年を過ごしたニュー・プレイスの邸宅の跡地。彼はロンドン時代に郷里のストラトフォード・アポン・エイボンに邸宅を用意していたらしい。

52歳で亡くなったシェイクスピア

それからたった3年の後、52歳のシェイクスピアが亡くなった。感染症だったらしい。しかし、せっかく生まれ故郷に戻ってきたのに、そこでの暮らしを楽しむことが出来た時間はあまりに短すぎたよね。

亡くなったシェイクスピアは、ストラトフォード・アポン・エイボンにあるホーリー・トリニティ教会に葬られたんだそうな。

ストラトフォード・アポン・エイボンに残るシェイクスピアの生家

イギリスのストラトフォード・アポン・エイボンに残るシェイクスピアの生家 生まれ故郷に戻って亡くなったシェイクスピアなんだけど、そのストラトフォード・アポン・エイボンには彼の生家(右の画像)も残っているんだ。もちろん、晩年を過ごしたニュー・プレイス邸宅跡と同じく多くの観光客を集める名所になっている。

ちなみに、シェイクスピアが生まれたのは西暦1564年のこと。父親は裕福な商人で、母親も裕福な家の出身だったらしい。そんな家に生まれたシェイクスピアは、18歳で結婚している。相手は8歳年上で、いわゆる出来ちゃった結婚だったそうな。

後に劇作家として名をなすシェイクスピアの人生のスタートも、なかなかドラマチックになりそうな予感を抱かせるよね。

劇作家として成功したシェイクスピア

実はシェイクスピアがいつ何のためにイギリスの首都ロンドンへ出て行ったのか、よくわからないらしい。遅くとも西暦1592年にはロンドンにいたらしいんだけど、それまでの7年間についてはどこで何をしていたんだか、謎なんだそうな。どこかで学校の先生をしていたとか、泥棒をして逃げていたとか ・・・ いろいろな説があるんだそうな。

いずれにせよ、シェイクスピアは西暦1592年にはロンドンにいた。そこで演劇に関係し、やがて劇作家として大成功を成し遂げる。残した作品は「リア王」「ヘンリー8世」「ハムレット」「マクベス」「ジュリアス・シーザー」「ロミオとジュリエット」「リチャード2世」「ヴェニスの商人」「ヘンリー6世」「間違いの喜劇」などなど数知れず。名声と共にお金も手に入り、ロンドン市内の土地を買い、更にはストラトフォード・アポン・エイボンのニュー・プレイスの邸宅(彼が晩年を過ごした場所)も買ったというわけだ。

ストラトフォード・アポン・エイボン

大成功したシェイクスピアがいきなり引退して帰って行った彼の生まれ故郷 ストラトフォード・アポン・エイボンの風景が下の画像。

イギリスのストラトフォード・アポン・エイボンを流れるエイボン川の風景

このストラトフォード・アポン・エイボンまではロンドンのパディントン駅から列車で2時間15分ほど。ちょいと遠いけど、日帰りでも行けるよね。天気の良い日にシェイクスピアゆかりの場所を見て、エイボン川のほとりを散歩するのがお薦めかな。

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