ブルボン家(ボルボン家)のスペイン国王フアン・カルロス1世西暦1975年、スペインでフランコ総統が亡くなり、王政復古となって国王フアン・カルロス1世が即位した。下の画像はその年に発行されたスペイン・ペセタのコインに描かれた国王の横顔なんだ。(ヨーロッパの新通貨ユーロが導入され、もうスペイン・ペセタは流通していないけどね。)
このスペイン国王フアン・カルロス1世は、ブルボン家(スペインではボルボン家)の出身なんだ。つまり、18世紀初頭のスペイン継承戦争で即位したスペイン王フェリペ5世の子孫にあたるわけだ。
スペインの混乱、革命、共和政、亡命、王政復古そんなとんでもなく素晴らしい血筋のスペイン国王フアン・カルロス1世なんだけど、実は色々な苦労もしているんだ。それもフランス皇帝ナポレオンに対するスペイン独立戦争から続く混乱の結果と言えるのかも知れない。西暦1868年、スペインで起こった革命によって、女王イサベル2世はパリに亡命している。その後、西暦1874年の王政復古によってスペイン国王として即位したのが、女王イサベル2世の息子のアルフォンソ12世だった。(下の画像はスペインの首都マドリッドにあるレティロ公園の水辺なんだけど、その水辺の向こうに見えているのがアルフォンソ12世の騎馬像。)
ところが、そのスペイン国王アルフォンソ12世は西暦1885年に27歳で亡くなってしまった。それから数ヵ月後、年があらたまって西暦1886年に生まれたアルフォンソ13世が次の国王として即位している。ところが、西暦1931年には革命が起こり、共和政が樹立され、国王アルフォンソ13世はイタリアの首都ローマに亡命している。
スペインの独裁者フランコ総統の後継者フアン・カルロス1世その頃のスペインはフランコ総統の支配下にあった。西暦1931年に王家を亡命させた革命の後、西暦1936年から始まったスペイン内戦に勝利を得たフランコ総統は、スペインの独裁者として君臨していたんだ。(下の画像は、ユーロ導入まで流通していた旧スペイン・ペセタのコインに描かれたフランコ総統の横顔。)
その独裁者フランコ総統は、王家ブルボン家(ボルボン家)の若者フアン・カルロス1世を庇護したらしい。陸軍に入り、マドリッドで大学にも通ったフアン・カルロス1世は、西暦1969年にフランコ総統の後継者として指名された。
スペインの民主化を進めた国王フアン・カルロス1世フランコ総統の後継者として国王に即位したフアン・カルロス1世だったけれども、独裁者フランコとは全く異なり、スペインの民主化を進めて、国民や世界を驚かせた。41年ぶりの総選挙が西暦1977年に行われた。その翌年には憲法が制定されて、立憲君主制が確立された。西暦1981年には、スペイン東部の街ヴァレンシアを中心として軍によるクーデター未遂事件が起こっている。「君臨すれども統治せず」という君主ではなく、昔のような王政の復活を求める軍人たちが起こした事件だった。ところが、フアン・カルロス1世はあくまでも民主制を支持し、その結果としてクーデターは失敗に終わっている。画家ピカソの絵「ゲルニカ」がスペインに返還されたのはその年のことだった。
上の画像は、そんなスペイン国王フアン・カルロス1世の公式の宮殿となっている首都マドリッドの王宮なんだ。但し、国王は日頃はマドリッド郊外にあるもっと小さな宮殿で暮らしているらしいけどね。
フアン・カルロス1世の退位とフェリペ6世の即位そんなフアン・カルロス1世が退位したのは西暦2014年6月のことだった。体調が優れず、次女は不祥事に巻き込まれ、国民の人気は低迷しているなどの事情があったとされている。直ちに皇太子が新しいスペイン国王フェリペ6世として即位したんだそうな。その新国王の後継者は西暦2005年生まれのレオノール王女。父が国王となった時点で8歳の王位継承権者だね。バレエを習うこの少女は、王位継承権者としてやがて軍事訓練が義務付けられ、更には憲法にも忠誠を誓うことになるらしい。 他方でスペインには王制に反対する人々もいる。新国王フェリペ6世の即位に際し、王制廃止を求め人々がデモを行ったとも報じられている。スペインの王制と幼いレオノール王女にはどんな未来が待っているのかな。
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