ヴィルヘルム・フォン・プロイセンの誕生西暦1882年、このページの主役であるヴィルヘルム・フォン・プロイセンが誕生した。成立して11年になるドイツ帝国の最後の皇太子となる人物だ。その父親は最後の皇帝となるヴィルヘルム2世だった。そのヴィルヘルム2世の母親はイギリスのヴィクトリア女王の長女、つまり赤ん坊のヴィルヘルム・フォン・プロイセンはヴィクトリア女王の曾孫ということになる。
そんな関係もあり、ヴィルヘルム・フォン・プロイセンは西暦1883年にイギリスを訪れ、曾祖母であるヴィクトリア女王に会っているらしい。まだ1歳の赤ん坊だし、本人は覚えていないだろうけどね。(上の画像はイギリスの首都ロンドンにあるバッキンガム宮殿。西暦1837年からヴィクトリア女王が住んでいた。)
ドイツ帝国の最後の皇太子その赤ん坊が生まれた時、ドイツ帝国に君臨していたのは初代皇帝にして赤ん坊の曽祖父でもあるヴィルヘルム1世だった。皇太子のフリードリヒ3世は赤ん坊の祖父、継いで皇位継承権第2位は父親のヴィルヘルム2世、そしてヴィルヘルム・フォン・プロイセンは皇位継承権第3位という赤ん坊だった。西暦1888年、曽祖父ヴィルヘルム1世が亡くなり、フリードリヒ3世が帝位を継承した。しかし、彼は在位わずか3ヶ月で死去。かくして父親のヴィルヘルム2世が皇帝となり、6歳のヴィルヘルム・フォン・プロイセンがドイツ帝国の皇太子となったわけだ。
皇帝ヴィルヘルム2世は息子である皇太子の為に宮殿の建設を命じた。それが上の画像にあるツェツィリエンホフ宮殿だった。皇太子は西暦1917年に完成したその宮殿に移り住んだ。
かつてのドイツ帝国皇太子の帰国父親である元皇帝と共に亡命先であるオランダで暮らしていたかつての皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンなんだけど、西暦1923年にドイツへの帰国が許され、懐かしいツェツィリエンホフ宮殿に戻ってきた。但し、帰国の条件として、政治活動をしないこととされていたらしい。
ところが、最後の皇太子は帰国の条件を無視し始めた。西暦1826年にはツェツィリエンホフ宮殿においてヒトラーと会っている。ヒトラーは彼にドイツにおける帝政の復活を示唆したんだとか。更にヴィルヘルム・フォン・プロイセンはムッソリーニをも支持したらしい。
敗戦後の最後の皇太子やがて第2次世界大戦が始まった。西暦1941年には父親の元皇帝ヴィルヘルム2世が死去。そして西暦1945年4月末にはソ連軍戦車がベルリンに突入してヒトラーが自殺。ドイツの降伏はその数日後のことだった。(下の画像はベルリンに突入したソ連軍戦車。)
ポツダム近郊にあるツェツィリエンホフ宮殿はソ連軍によって接収され、7月にはそこに連合国の首脳が集まりポツダム会談が行われ、更には日本に対するポツダム宣言が発せられた。
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