ロンドン郊外にあるイギリス王家ゆかりのハンプトン・コート宮殿イギリスの首都ロンドン市内にあるウォータールー駅(かつてはユーロスターの駅でもあったけど・・・)から列車で30分ほどで到着するハンプトン・コート駅。そこにあるのがイギリス王家ゆかりのハンプトン・コート宮殿(下の画像)なんだ。
もともとは16世紀初頭に建てられたんだけど、その後も18世紀に至るまで増改築が繰り返され、テューダー朝時代の建物はほんの一部しか残っていないんだそうな。ちなみに、このハンプトン・コートの増改築には、ロンドン市内のセント・ポール大聖堂を再建したクリストファー・レンも関与したことがあるらしいよ。
イングランド王ヘンリー8世とハンプトン・コート宮殿この場所に宮殿の元となる建物を最初に築いたのは、イングランド王ヘンリー8世の家臣だったウォルゼー枢機卿だったそうな。ところが、ヘンリー8世がここを気に入ってしまったんだ。
しかも、枢機卿がローマ教皇と交渉していた王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題がちっとも進展しない。早くアン・ブーリンと再婚したいイングランド王ヘンリー8世のご機嫌はとんでもなく悪くなってしまった。 ハンプトン・コート宮殿の幽霊たち話をイングランド王ヘンリー8世に戻そう。ご承知の通り、少なからぬ数の人々が彼の犠牲になっている。というわけで、このハンプトン・コート宮殿ではヘンリー8世のゆかりの人々(王妃たちを含めて)の幽霊に会うことができるという話もあるんだ。例えばヘンリー8世の奥様方で言えば、ジェーン・シーモア、キャサリン・ハワード、アン・ブーリンなどの幽霊がこのハンプトン・コート宮殿に姿を見せるとか ・・・ 。ことの真偽は皆さん御自身の目で確かめてくださいね。(右の画像は幽霊ではなく、ハンプトン・コート宮殿のガイドさんだよ。)
トマス・ウォルゼー枢機卿のその後イングランド王ヘンリー8世にハンプトン・コート宮殿を献上し、全ての役職から解任された枢機卿トマス・ウォルゼーなんだけど、ヨーク大聖堂の大司教の地位だけは保つことを許されたんだ。ヘンリー8世としては、珍しくとんでもなく寛大な処置だったらしい。枢機卿はヘンリー8世の父親のヘンリー7世にも仕えた腹心だったからね。ところが、ヘンリー8世はやっぱりヘンリー8世だった。西暦1530年、ヨーク郊外の田舎にひっこんだ大司教を反逆罪で逮捕しちゃった。その大司教はロンドンへ護送される途中で病気で亡くなっちゃったんだ。トマス・モアのようにテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉されて処刑されるよりも、病死の方が楽だったかもしれないけどね。
イギリス王家の宮殿ついでながら、イギリス王家の宮殿の話。アングロ・サクソン王家の時代からの元々の宮殿は、今のロンドン市内(中世ではロンドン市外だけど)にあるビッグ・ベンで有名な国会議事堂、つまりはウェストミンスター宮殿だったらしい。イングランド征服王ウィリアム1世は、ロンドン塔に住んでいた時期もあったものの、後にはウェストミンスター宮殿に移ったんだそうな。そしてこのページに書いたヘンリー8世のハンプトン・コート宮殿がある。 名誉革命からイギリス王となったウィリアム3世(オレンジ公)は、今のケンジントン・ガーデンズの中にあるケンジントン宮殿に住んだらしい。でも、このハンプトン・コート宮殿で落馬により負傷し、運び込まれたケンジントン宮殿で亡くなったんだそうな。
大英帝国全盛の19世紀のイギリス王家の宮殿としては、衛兵交代で有名なバッキンガム宮殿があるよね。他方で、上に書いたケンジントン宮殿も引き続き王家に使われていて、一時期はチャールズ皇太子とありし日のダイアナ妃も住んでいたらしいよ。
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