スペインを代表する画家ゴヤゴヤといえばスペインを代表する画家だよね。というわけで、スペインの首都マドリッドのプラド美術館(これもスペインを代表する美術館だね)の前には、下の画像にあるゴヤの像も立っているわけだ。
ところが、そんなスペインの画家ゴヤは西暦1824年にスペインからフランスに亡命しているんだ。その時点で彼は78歳だった。その4年後にはフランスで亡くなっている。
スペイン王カルロス4世の宮廷画家となったゴヤゴヤはスペイン北部アラゴン地方の田舎の村で西暦1746年に生まれている。父親は金箔を貼る職人だったらしい。やがてゴヤはサラゴサの学校で絵を学び、更に画家の弟子となって修行したんだそうな。その後のゴヤはスペインの首都マドリッドやイタリアの首都ローマなどで絵を学び、作品を制作している。でも、未来の大画家ゴヤの下積み生活は長く続いたみたい。彼は食べるためにカルトン(タペストリーの下絵)を描く仕事を長く続けたらしい。でも、それが彼を成長させたという説もあるんだそうな。 そして西暦1780年、ゴヤは王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入ることができた。そんな彼に教会などから宗教画の注文が入るようになった。西暦1786年にはスペイン王カルロス3世(元はナポリの王カルロ7世)付きの画家となり、更に西暦1789年にはスペイン王カルロス4世によって宮廷画家とされた。
以後の彼は生活費の心配をすることなく、多くの絵を描いている。マドリッドのプラド美術館に行けば、そんなゴヤの多くの絵を見ることができるわけだ。上の画像にあるゴヤの絵「カルロス4世の家族」もプラド美術館で見ることのできる作品だね。
フランス革命、皇帝ナポレオン、スペイン独立戦争スペイン王カルロス4世の宮廷画家としてゴヤが絵を描いていた頃、ヨーロッパは激動の時代を迎えていた。西暦1789年のフランス革命の紆余曲折の末に、西暦1804年にはナポレオンがフランス皇帝となった。そして西暦1808年には皇帝のナポレオンの兄がスペイン王ホセ1世として即位したんだ。(下の画像はイギリスの首都ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館にあるナポレオンの蝋人形。)
そんなフランスによる支配からのスペインの独立戦争が長く続いた。やがて皇帝ナポレオンも没落し、カルロス4世の息子のフェルナンド7世がスペイン王として即位したんだ。画家ゴヤはスペイン王フェルナンド7世の注文を受け、フランス支配下のスペインを描いた絵を残している。
スペイン王フェルナンド7世と画家ゴヤのフランスへの亡命復位したブルボン家(ボルボン家)のスペイン王フェルナンド7世の政治は反動的だった。西暦1812年の憲法を無視し、時代錯誤的な政治を行おうとした。他方でコロンブスやコルテスなどが発見・征服した新大陸の植民地は次々と独立していき、スペインの財政は危機に陥った。そんな混迷するスペインにおいて、西暦1820年には反乱が起き、革命政府が組織された。でも、ナポレオン没落後の王政復古によって復活したフランスのブルボン王家が、同じブルボン家のスペイン王(フランス王ルイ14世太陽王のスペイン継承戦争によってブルボン家がスペイン王家となっていた)を支援をする為に、西暦1823年に軍を派遣し、革命軍が敗れ、スペイン王フェルナンド7世の反動的な政治が復活したんだ。 王による革命の関係者に対する報復や強権的な政治を嫌悪した画家ゴヤは、西暦1824年にスペインからフランスに亡命している。既に78歳になっていた。そして4年後、スペインを代表する画家ゴヤはフランスのボルドーで亡くなっている。 彼の母国スペインでは、その後も混乱が続いた。反乱、革命、王政復古などが繰り返され、やがて20世紀前半のスペイン内戦に勝利を得たフランコ総統が独裁政治を確立するに至ったんだ。そして西暦1975年にはブルボン家(ボルボン家)による王政復古により、スペイン国王フアン・カルロス1世が即位している。
All rights reserved 管理・運営 あちこち三昧株式会社 このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 |