フランス南東部にある中世の街ペルージュフランス第2の都市リヨンから車で40kmほど北東に向かった小高い丘の上に、中世の面影を残すペルージュという小さな街がある。
上の画像がそのペルージュの通りの様子なんだけど、この街の風景だけじゃなくて、歴史もまた興味深いんだ。
古代から中世にかけてのペルージュの街このペルージュという街の名前なんだけど、イタリアにあるペルージャと似ているでしょ。それもそのはず、この二つの街は親戚と言えなくもない。もともとガリア(今のフランス)に住んでいたゴール人の一部がイタリアに移住して作った街がペルージャ。ところが古代ローマ帝国が強大になり、イタリアに住みにくくなった為にペルージャからガリアに戻った人々が築いたのがペルージュの街だった。とはいえ、紀元前2世紀には古代ローマ帝国はエクサン・プロヴァンス(エクス)の街を築き、更に紀元前43年にはリヨン(当時はルグドゥヌム)にまで進出して、属州ガリア・ルグドゥネンシスを経営しているんだけどね。 その後のペルージュは、5世紀にはブルグント王国の支配下に入り、6世紀にはフランク王国に征服されている。下の画像のように、街の周囲を城壁で守りたくもなるよね。
その後、ペルージュの街はフォレ伯爵の所領となっていた。ところが、西暦1167年にフォレ伯爵がペルージュの街をリヨン大聖堂(リヨンのサン・ジャン大聖堂)の大司教に売ってしまった。当時のリヨンの大司教は、ガリア(フランス)全体の首座にあり、リヨンの街もその支配下に置く強力な領主だったんだ。
ペルージュの街をフランス王ジャン2世がサヴォワ公に売却その後、ペルージュの街の持ち主は何度か換わっていったらしい。そして西暦1349年にはフランス王太子ジャンが領主となった。その王太子は翌年には即位してフランス王ジャン2世になった。つまりは、このペルージュの街の領主はフランス王というわけだ。(下の画像はペルージュの街を見下ろす石の塔。)
ところが、その当時のフランスはイングランドとの百年戦争の最中だった。お金を必要とするフランス王ジャン2世は、ペルージュの街をサヴォワ公に売ってしまった。というわけで、ペルージュの街はしばしサヴォワ公の領地となるんだ。
ペルージュの街とサヴォワ公、ブルゴーニュ公、フランス王その後しばらくはペルージュの街の領主はサヴォワ公だった。が、15世紀にサヴォワ公はディジョンに首都を置いたブルゴーニュ公国のシャルル突進公と同盟を結んだ。その結果、ペルージュの街はブルゴーニュ公と対立していたフランス王ルイ11世の軍の攻撃を受けている。
その後もペルージュの街はサヴォワ公とフランス王との間で争われ、最終的には西暦1601年にフランス王アンリ4世の手に落ちたんだそうな。(上の画像は中世の面影を残すペルージュのホテルの寝室。ここも中世の雰囲気たっぷりだった。)
All rights reserved 管理・運営 あちこち三昧株式会社 このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 |