ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1364年、捕われのフランス王ジャン2世がイギリスの首都ロンドンで亡くなった。


ヴァロワ家第2代フランス王ジャン2世

西暦1328年にカペー家最後のフランス王シャルル4世が亡くなり、ヴァロワ家の初代フランス王フィリップ6世が即位して、フランス・イギリス間の百年戦争の火種となった。

でも、ヴァロワ家第2代のフランス王ジャン2世が即位した西暦1350年の時点では、まだ百年戦争の戦火はやや鎮まっていた。西暦1347年に休戦が結ばれていたんだ。即位したばかりのフランス王ジャン2世も、フランスの首都パリシテ島にあるコンシェルジュリー(当時の王宮)に時計塔を増築したりしている。

フランスの首都パリにあるコンシェルジュリー

上の画像がそのコンシェルジュリーなんだけど、橋の向こう側のたもとに見える角型の背の高い塔が、フランス王ジャン2世が増築した時計塔なんだそうな。ちなみに、このコンシェルジュリーは後に刑務所として使われ、フランス革命の後には処刑される前の王妃マリー・アントワネットも収監されていたらしい。(ついでながら、このコンシェルジュリーのすぐ近くにはサント・シャペルもある。)

ノルマンディー公ジャン

フランス王ジャン2世は西暦1319年に生まれている。そして父が西暦1328年にフランス王として即位した後の西暦1332年には、13歳のジャンがパリのノートルダム大聖堂で騎士として叙任されている。(下の画像はそのノートルダム大聖堂のバラ窓のステンド・グラス。)

フランスの首都パリのノートルダム大聖堂のバラ窓のステンド・グラス

その同じ年、ジャンはボヘミアの王女ボンヌと結婚し、またノルマンディー公にも任じられている。王太子として着々と王位継承の準備が進められていたんだね。

イングランド黒太子エドワードによるフランス侵攻

そして父王の死去により、西暦1350年にフランス王ジャン2世が即位したわけだ。でも、父であるヴァロワ家初代フランス王フィリップ6世が即位した時からくすぶっていた百年戦争の種火が再び燃え上がってしまった。

イギリス南部のカンタベリー大聖堂に見る黒太子エドワードの武具

西暦1355年、イングランド王エドワード3世の息子で勇猛で名高い黒太子(ブラック・プリンス)エドワードがフランスに侵攻してきたというわけだ。(上の画像はイングランド南部にあるカンタベリー大聖堂で見ることの出来る黒太子エドワードの武具。)

その年、フランス王ジャン2世はフランス第2の都市リヨンの近くにあるペルージュの街をサヴォワ公に売却している。それで戦争準備の為の資金を調達したんだろうね。

ロンドンに捕われのフランス王ジャン2世

フランス王ジャン2世は、軍を率いてイングランドの黒太子エドワードを迎え撃った。それが百年戦争でも名高い西暦1356年のポワティエの戦いだった。その戦いではフランス王ジャン2世は戦斧を振り回して勇敢に戦ったらしい。ところが彼の兜は叩き落され、取り囲まれてしまった。

捕われたフランス王ジャン2世は、イングランド軍の支配下にあったボルドーを経て、敵国の首都ロンドンに送られ、テムズ川のほとりのロンドン塔(下の画像)に入れられたらしい。

イギリスの首都ロンドンにあるテムズ川のほとりのロンドン塔

フランス王ジャン2世がロンドンに捕えられ、パリでは王太子シャルル(後のフランス王シャルル5世)が政務を取り仕切っていた。そんな西暦1358年にはパリに反乱が起き、王太子たちはコンシェルジュリーからルーブル城砦(今のルーブル美術館)に移動したんだそうな。(後にフランス王シャルル5世はルーブル城砦を改修している。)

西暦1560年にはブレティニー条約が結ばれ、フランスが身代金をイングランドに支払うことを条件にフランス王ジャン2世が解放されることが取り決められた。その身代金を調達する為に、フランス王子ルイなどを代わりの人質とし、フランス王ジャン2世は一旦フランスに帰国することを許された。

ところが、身代金の調達に苦心していた西暦1563年、イングランドの人質となっていたフランス王子ルイ(後のフランス王シャルル5世の弟)が逃亡してしまった。それを不名誉なことと考えたフランス王ジャン2世は、自らイングランドに戻り、あらためて人質となったらしい。

そんなフランス王ジャン2世をロンドンの人々は大歓迎したんだそうな。でも、それから間もない西暦1364年4月、イングランドの人質となっていたフランス王ジャン2世が亡くなった。彼の遺骸はフランスに返され、パリの郊外にあるサン・ドニ大聖堂フランス王家の墓所に葬られたんだそうな。

ちなみに、フランス王ジャン2世善良王が戦いで捕えられた際に父王を守るために勇敢に戦った末っ子のフィリップは、後にブルゴーニュを与えられ、ヴァロワ家系初代ブルゴーニュ公となっている。以後、歴代のブルゴーニュ公が百年戦争でも微妙な役回りを果たすことになるんだ。

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