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西暦1376年、百年戦争におけるイギリスの英雄 黒太子(ブラック・プリンス)エドワード死去。
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百年戦争におけるイギリスの英雄 黒太子(ブラック・プリンス)エドワード
百年戦争時代のイギリスの英雄といえば、まず名前があがるのは、黒太子エドワードだろうか。彼は西暦1336年には初代コーンウォール公となり、西暦1343年にはプリンス・オブ・ウェールズとなっている。
上の画像は、黒太子エドワードの領地となっていたイギリス南西部コーンウォール地方にあるティンタジェル城の風景なんだけど、この城は伝説のアーサー王ゆかりの場所でもあるんだ。
ついでながら、このコーンウォール公位なんだけど、イギリスの王の最年長の息子が継承することとなっている。故に女王エリザベス2世の長男のチャールズ皇太子は、プリンス・オブ・ウェールズでもあると同時にコーンウォール公でもある。黒太子エドワードから今に至り、コーンウォール公位は由緒ある地位になっているわけだね。
ちなみに、チャールズさんはプリンス・オブ・ウェールズであると同時にコーンウォール公なんだけど、その再婚相手のカミラさんはコーンウォール公妃ではあってもプリンセス・オブ・ウェールズとはなっていないらしい。故ダイアナ妃への配慮なんだそうな。
黒太子(ブラック・プリンス)エドワードの病没
そんな黒太子(ブラック・プリンス)エドワードはフランスに対する百年戦争でも活躍し、1346年にはクレシーの戦いに参加してフランスを破り、1356年のポワティエの戦いでもフランスを破っている。そのポワティエの戦いでは、フランス王ジャン2世を捕虜にしてもいるんだ。
そして西暦1366年にはカスティーリャ王家の内紛の為にスペインに遠征している。フランスのベルトラン・デュ・ゲクランが支援するエンリケ2世に対するカスティーリャ王ペドロ1世を支援して戦ったんだ。
ところが、このカスティーリャ王ペドロ1世がとんでもないヤツだった。約束した軍資金は負担しないわ、領地も与えないわ ・・・ 。しかも、そのスペインで黒太子エドワードは病を得てしまった。
イギリスに帰国した黒太子(ブラック・プリンス)エドワード。結局、病が癒えることもなく、西暦1376年に亡くなってしまった。他方で約束破りのカスティーリャ王ペドロ1世は敗れ、宿敵のエンリケ2世がカスティーリャ王となっている。(そのエンリケ2世が改修したのが、上の画像にあるスペインにある世界遺産セゴビアのアルカサルだったりする。)
イギリスのカンタベリー大聖堂に見る黒太子エドワードの武具
イングランド南部にあるカンタベリー大聖堂では、黒太子エドワードが使っていた武具の本物(下の画像)を見ることが出来る。(ついでながら、そのカンタベリー大聖堂にはエドワード黒太子の武具のとってもカラフルなレプリカもあるけどね。)
ちなみに、イギリス南東部にあるカンタベリーへはイギリスの首都ロンドンから列車に乗って、日帰りで行くことができるよ。
黒太子エドワードの忘れ形見 リチャード2世
黒太子エドワードが亡くなった翌年の西暦1377年、黒太子の父であるイングランド王エドワード3世が亡くなった。そしてイングランド王として即位したのは、黒太子の忘れ形見リチャード2世(当時 10歳)だった。
ところが、そのリチャード2世は西暦1399年にロンドン塔(上の画像)に幽閉され、イングランド王から退位させられ、その翌年の1400年には牢獄の中で亡くなった。そんなリチャード2世はストラトフォード・アポン・エイボン出身のシェイクスピアの作品「リチャード2世」の題材にもなっているんだ。
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