ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1353年、ハプスブルク家に対して優勢な戦いを進めていたスイス盟約者団(同盟)が8カントンに拡大した。


ヨーロッパの南北を結ぶスイス・アルプスの峠道

険しい山々がつらなるスイス・アルプス(下の画像)は、夏のヨーロッパを代表する観光地だよね。但し、山々はその土地に住む人々には苦労を強いているんだろうけど。また、昔の人々には、ヨーロッパの南北を結ぶ通商を難しくする難所だったんだろうけど。

スイス・アルプスの山々

中世においてドイツなどスイス・アルプスの北側のヨーロッパが次第に重要性を増すにつれて、南側のイタリアと北側を結ぶスイス・アルプスの峠道も整備されていったんだ。12世紀末頃には、ザンクト・ゴットハルト峠も開削されている。

スイスの湖畔の街ルツェルンの建設

ヨーロッパの南北を結ぶ通商路としてのスイスの重要性が増すにつれて、スイスのあちこちに街が建設されていった。その一つが、西暦1178年に建設されたといわれるスイスの湖畔の街ルツェルン(下の画像)だった。

ルツェルンの街の風景(スイス) ルツェルンの街の風景(スイス) ルツェルンの街の風景(スイス) ルツェルンの街の風景(スイス)

ルツェルンの街は、ザンクト・ゴットハルト峠を通る通商路の街として、次第に発展していったんだ。

ハプスブルク家によるチューリヒの獲得

スイスにおいて熱心に街を建設していったのは、当時のスイスを代表する有力貴族のツェーリンゲン家だった。ところが、そのツェーリンゲン家が西暦1218年に断絶してしまう。そのツェーリンゲン家の所領の多くを継承してスイスにおける権力を拡大したのがハプスブルク家だった。

オーストリア大公位をも獲得したハプスブルク家は、スイスにおいても更に所領を拡大していった。上に挙げたルツェルンの街も、西暦1291年にハプスブルク家が購入している。

また当時のハプスブルク家は神聖ローマ皇帝位をめぐってバイエルンを地盤とするヴィッテルスバハ家と対抗していたんだけど、同家との西暦1330年の和解の条件として、チューリヒ(下の画像)などのスイスの街も獲得している。

チューリヒの街の風景(スイス) チューリヒの街の風景(スイス) チューリヒの街の風景(スイス) チューリヒの街の風景(スイス)

余談ながら、このチューリヒの街のフラウ教会には、マルク・シャガールの手によるステンド・グラスがある。チューリヒを旅する際には是非とも見て欲しいな。(マルク・シャガールについては、フランス南部ニースにあるシャガール美術館のページを参照してね。)

ハプスブルク家に対抗するスイス盟約者団(同盟)

ところが、他方では、スイスにおける勢力を拡大しつつあったハプスブルク家にとっての最大の敵が次第に姿をあらわしつつあったんだ。

ハプスブルク家がルツェルンを購入した西暦1291年、同家の勢力拡大に懸念を抱いたウーリ、シュヴィーツ、ニートヴァルデンの三つのカントンが永久同盟を結んでいる。この同盟が拡大・発展し、現在のスイス連邦へとつながっているんだ。(三つのカントンが同盟を結んだ8月1日は、いまでもスイスの建国記念日となっている。)

モルガンテンの戦いにおけるハプスブルク家の敗北

そして西暦1314年、スイス盟約者団(同盟)を結んだ三つのカントンの一つであるシュヴィーツとアインジーデルン修道院との間に土地に関する紛争がおきた。その争いにハプスブルク家が介入してきたんだ。

ところが翌年の1315年には、モルガンテンの戦いにおいて、ハプスブルク家の誇る精鋭騎士たちの軍がシュヴィーツの軍に惨敗を喫してしまった。(以後しばらくの間、ハプスブルク家にとっては雌伏の時代が始まる。)

拡大するスイス盟約者団(同盟)

ハプスブルク家に対して勝利を得たスイス盟約者団(同盟)は更に拡大を続ける。西暦1332年には原初三邦(最初に永久同盟を結んだ三つのカントン)と、ハプスブルク家の支配下にあったルツェルンの街が同盟を結んでいる。

西暦1351年には、おなじくハプスブルク家の支配下にあったチューリヒまでもが森林四邦(原初三邦とルツェルン)と同盟を結んだ。対するハプスブルク家はチューリヒの支配を奪回しようとしたんだけど、逆にハプスブルク家支配下のグラールスやツークをスイス盟約者団(同盟)に奪われてしまった。

そして西暦1353年にはベルンまでもが原初三邦と同盟を結んでいる。当初は三つのカントン(邦)の同盟から出発したスイス盟約者団(同盟)は、この時点で八つのカントンの同盟となったんだ。

但し、この時点でのスイス盟約者団(同盟)はきわめて緩い結合にすぎず、例えば1356年にはチューリヒがハプスブルク家と5年間の相互軍事援助協定を結んだりしている。ハプスブルク家としては、なんとかスイス盟約者団(同盟)の切り崩しをしたかったということなんだろうな。しかし、御承知の通りにスイスは独立に向かって進んでいくんだけどね。

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