ハプスブルク家と
ヨーロッパの首都ウィーンを中心とするオーストリア・・・といえば、すぐに頭に浮かぶのは長く神聖ローマ皇帝位を保ったハプスブルク家かな。 |
まずオーストリア大公位争奪戦をリードしたのは、ボヘミア(チェコ)王家であるプシェミスル家だった。 西暦921年からボヘミア(チェコ)の支配者だったプシェミスル家は、西暦1251年にオーストリア大公位を獲得したんだ。(右の画像は、チェコの首都プラハの王宮にあるボヘミア王の玉座。) |
ところが、隣国ハンガリー王国のアールパード朝のハンガリー王ベーラ4世も黙っていない。オーストリア大公位継承争いに介入してきたんだ。 左の画像はハンガリーの首都ブダペストに残るマーチャーシュ教会。ベーラ4世が建てたもの。(後にマーチャーシュ王が改築したけど。) |
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