ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1282年、イタリアの街フィレンツェでワイン商人のギルドが結成された。


フィレンツェで結成されたワイン商人のギルド

イタリアの中でも観光客に人気の街フィレンツェを訪れたならば、下の画像のようなフィレンツェ名物の巨大なステーキ(ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ)を食べながらワインを楽しみたいよね。

イタリアの古都フィレンツェで巨大なステーキとワイン

そんなフィレンツェには11世紀にはワイン商人がいたことが文書に残されているんだそうな。そして西暦1282年にはその街にワイン商人のギルド(同業者組合)が結成されたらしい。

フィレンツェの南にイタリアを代表するキャンティのワイン産地

トスカナ地方の中央部、フィレンツェとシエナとの間にはイタリアを代表するワイン「キャンティ」の産地が広がっている。(下の画像はそんなキャンティのワインの村に広がるブドウ畑の様子。)

イタリアの代表的な赤ワインであるキャンティを生み出すブドウ畑

現代のキャンティのワイン産地には、紀元前8世紀頃からエトルリア人がワイン生産の為のブドウ栽培をいっていたらしい。彼らは生産したワインをイタリア南部やガリア(今のフランス)にも輸出していたんだそうな。

その後、中世のこの地方では土地の所有者が小作人にブドウを栽培させ、収獲されたブドウの半分を小作料として受け取り、そのブドウからワインを生産し、そのワインを近くにあるフィレンツェの商人に売り渡して現金にしていた。そんなわけでフィレンツェにキャンティのワインを扱う商人のギルドが結成されたんだね。

現在のキャンティといえばイタリアを代表する赤ワイン

中世初期のワインの消費者は、イタリアの大都市ローマナポリの貴族や聖職者たちだった。でも、フィレンツェでは手工業や商業・金融が発達し、豊かな中産階級の人々が増えていった。そんな人々がワインの消費者となり、キャンティのワインはますます多くの顧客を獲得していったわけだ。

その後、19世紀後半にはブドウの病気や害虫などによってキャンティのワイン生産が落ち込んだり、20世紀の第二次世界大戦後の安ワインの大量生産によって評価が低迷したこともあった。でも、やがてイタリア政府やワイン生産者の努力が実を結び、キャンティのワインの品質や評価も回復して、イタリアを代表するワインの一つとされているよね。

イタリアの代表的な赤ワインであるキャンティの典型的なボトル

上の画像はそんなキャンティの姿なんだけど、20世紀においては藁のバスケットに入ったずんぐりした壜がキャンティのボトルの典型だったみたい。今ではもっとスマートなボトルに入っているけどね。

かつてキャンティでは白ワインが生産されていた

上の画像でもそうなんだけど、キャンティといえば赤ワインが浮かぶよね。イタリアを代表する赤ワインのひとつだよね。でも、中世のフィレンツェの商人が取り扱っていたのは、キャンティの白ワインだったらしい。14世紀の文書にはそう記されているらしい。その後、キャンティでは赤ワインの生産にシフトしていったんだそうな。

イタリアの代表的な赤ワインであるキャンティのワイン村で生産された白ワイン

そして現在のキャンティでも赤ワインのみならず、美味しい白ワインやロゼ・ワインも生産されている。上の画像はキャンティのワインの村のホテルで飲んだ地元産の白ワインなんだけど、夏のイタリアの明るい午後には冷えた白ワインが合うよね。

ところで、キャンティと同じくトスカナ地方にあるサン・ジミニャーノ中世イタリアの塔の街として名高い)には、私の大好きな白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ」がある。西暦1276年の文書に登場するほどに歴史のあるワインなんだ。ダンテミケランジェロも愛飲したらしいよ。

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