アルハンブラ宮殿の離宮ヘネラリーフェのアセキアの中庭下の画像の風景、その場所へ行ったことはなくても、見たことがあると思う人は少なくないかもしれないね。というのも、中学だか高校だかの音楽の教科書に載っていたからね。ギターの名曲「アルハンブラの思い出」のページだね。
この場所はスペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダにあるアルハンブラ宮殿の奥の離宮ヘネラリーフェの中のアセキアの中庭なんだ。
アルハンブラ宮殿とナスル朝グラナダ王国スペイン南部にナスル朝が成立したのは西暦1232年のこと。彼らがグラナダ王国を築き、西暦1238年からアルハンブラ宮殿の建設を始めた。とはいえ、当初のアルハンブラ宮殿は、宮殿というよりもむしろ城砦だった。というのも、当時のアンダルシア地方ではイスラム教徒の支配が混乱に陥り、キリスト教徒によるスペインのレコンキスタ(国土回復運動)が急激に進んでいたんだ。ナスル朝グラナダ王国としては、まずは守りを固めることが急務だったんだろうね。 例えば、後ウマイヤ朝の古都コルドバは西暦1236年にカスティーリャ王フェルナンド3世によって征服され、ナスル朝グラナダ王国もカスティーリャ王に臣従して貢納金の支払を強制されていた。更には西暦1248年にはフェルナンド3世は古都セビリアを征服したんだけど、その際にはグラナダ王国は軍勢を出してカスティーリャ王の軍に加わったんだそうな。 余談ながら、そんなわけで13世紀前半にスペインのキリスト教徒によって征服(奪還)されたコルドバにはメスキータ(昔のモスク)が残っているし、セビリアにはヒラルダの塔(昔のモスクの尖塔)がそびえている。どちらも中世イスラム文化の栄華を残し、いずれも世界遺産になっているね。もちろん、このグラナダのアルハンブラ宮殿もね。
そして上の画像は古都グラナダのアルバイシン地区。丘の斜面に白壁の家々が並び、細い路地が縦横に走る中世の面影を色濃く残す地区なんだそうな。このアルバイシン地区も世界遺産になっている。ちなみに、上のアルバイシン地区の画像はアルハンブラ宮殿から撮影したもの。
アルハンブラ宮殿のパルタル庭園下の画像はアルハンブラ庭園の中でも、離宮ヘネラリーフェのアセキアの中庭と並んで、水辺の風景が素敵なパルタル庭園と貴婦人の塔の様子なんだ。上のアルバイシン地区の乾いた風景と見比べれば、庭園にふんだんに水を使うことが君主ならではのぜいたくだと思うよね。
このパルタル庭園と貴婦人の塔を建てたのは、ナスル朝グラナダ王国の第3代君主だったムハンマド3世だった。スペイン南部アンダルシア地方のイスラム教徒の中から台頭してナスル朝グラナダ王国を樹立し、このアルハンブラ宮殿の建設を始めた初代ムハンマド1世の孫にあたる。
アルハンブラ宮殿のライオンの中庭続いて下の画像はアルハンブラ宮殿の中枢とも言われ、ナスル朝グラナダ王国の王たちのハーレムだったとされるライオン宮殿のあるライオンの中庭の様子なんだ。
このライオンの中庭のある宮殿を建てたのは、ナスル朝グラナダ王国の最盛期の君主とされるムハンマド5世だった。彼は西暦1391年に亡くなっているんだけど、ナスル朝グラナダ王国はそれから100年余りも生き延び、西暦1492年にカトリック両王に征服され、スペインのレコンキスタ(国土回復運動)が完了したわけだね。
中世イスラムの栄華は今のスペインの魅力の不可欠の要素になっているよね。そんなイスラム文化を支えたイスラム教徒やモリスコはスペインから追放されたけれども。
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