世界遺産パエストゥム(ポセイドニア)遺跡に見る古代ローマイタリア南部サレルノの南にある世界遺産パエストゥム(ポセイドニア)遺跡には、古代ギリシャ人が築いたいくつもの神殿が残っていることで名高いよね。例えば下の画像にも二つの神殿が見えている。手前が紀元前5世紀後半に建立されたヘラ第二神殿、その奥が紀元前6世紀半ばのものとされるヘラ第一神殿だ。この画像には見えていないけど、紀元前500年頃に建立されたと考えられているアテナ女神神殿も見応えのある遺跡だよね。
ここは紀元前600年頃に古代ギリシャ人が築いた街ポセイドニアだった。だからギリシャ神殿が多いわけだ。でも、上の画像には石畳の道が見えるよね。この「聖なる道」と呼ばれる石畳の道は、古代ローマによって整備されたんだそうな。
イタリア半島を南下する古代ローマ古代ローマは後に地中海全体からヨーロッパの大部分を支配するに至るけれども、かつては今のローマに残るフォロ・ロマーノあたりを中心とする小さな国に過ぎなかった。紀元前387年にはそのローマもケルト系ガリア人の略奪を受けるほどの存在だった。他方で古代ギリシャ人は地中海西部の各地に進出していたんだ。このページで焦点をあてているポセイドニア(パエストゥム)のみならず、同じ頃には今のフランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユにも進出し、更に紀元前474年には今のナポリ(当時はネアポリス)をも築いている。特に当時のシシリアとイタリア南部はギリシャ世界に属していたみたい。 ところが、周辺のラテン人やサムニウム人との戦いを繰り返す中で、古代ローマは勢力を拡大していったわけだ。そして紀元前4世紀の後半、第二次サムニウム戦争が起こり、サムニウム人と同盟していたナポリ(ネアポリス)はローマの支配下に落ちたわけだ。
古代ギリシャ人が築いた街ポセイドニア(パエストゥム)まではナポリからは 90kmもない。ナポリにまで進出した古代ローマは、紀元前273年にはポセイドニア(パエストゥム)の街をも支配下に入れている。
世界遺産パエストゥム遺跡に残る古代ローマ時代の円形劇場パエストゥム(ポセイドニア)の街を支配下に入れた古代ローマは、ギリシャ人が建立した神殿を破壊したわけじゃない。故に今もパエストゥム(ポセイドニア)には古代ギリシャ人の神殿がいくつも残っている。
でも、古代ローマの人々は新しく支配下に入ったパエストゥム(ポセイドニア)に彼らならではの建物や施設を築いたんだ。その一つが上の画像にある円形劇場だね。
古代ローマが残したフォロ、そして見捨てられた街パエストゥム更に古代ローマの人々はパエストゥム(ポセイドニア)の街にフォロ(広場)を残している。フォロは古代ローマの人々には必須の施設だからね。今のローマのフォロ・ロマーノにも、カエサルのフォロやトラヤヌスのフォロが残っているけどね。
上の画像はパエストゥム遺跡に残るフォロとその周辺の様子なんだ。世界遺産パエストゥム遺跡、とっても広いでしょ。でも、今までに発掘されたのは、全体の3分の1にも満たないらしい。上に書いた円形劇場なんて、未発掘の半分は道路と私有地の下に埋もれているんだそうな。更に都合の悪いことに、パエストゥム国立考古学博物館が設置されたせいで、その地下の発掘ができなくて困っているとか。
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