ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1786年、ドイツの文豪ゲーテがイタリア旅行に出発した。


イタリアに向かうまでのゲーテ

西暦1749年、ドイツの街フランクフルトでヨハン・ヴォルフガング・ゲーテが生まれた。後の文豪ゲーテだね。家はお金持ちであり、父親が雇った家庭教師からラテン語、フランス語、イタリア語、英語、ギリシャ語などを学んだそうな。

西暦1765年、16歳のゲーテはライプツィヒ大学で法律を学び始めた。ところが、19歳の頃に病気の為に中退し、フランクフルトの実家に戻って療養生活を過ごしている。ちなみに下の画像は旧東ドイツの街ライプツィヒに立つゲーテの像。大学は中退したけど、この街で文豪が学んだということを誇っているんだろうね。

旧東ドイツの街ライプツィヒに立つゲーテの像

西暦1770年、病気から回復したゲーテは、アルザス地方の街ストラスブールの大学で学び始めた。翌年にはフランクフルトに戻り、弁護士となっている。そして西暦1774年、彼の代表作の一つとなる「若きウェルテルの悩み」が出版され、作家としての彼の名が広まったわけだ。

西暦1775年、ゲーテはカール・アウグスト公の招きを受け、ヴァイマル公国に向かった。彼は公国で政治家として登用され、その地で暮らし始めたんだ。それからの彼は専ら政治に取り組み、文学者としての活動には見るべきものはなかったらしい。

ゲーテのイタリア旅行

西暦1786年、ゲーテはカール・アウグスト公から休暇の許しを得た。現代のサラリーマンならば勤続10年の節目の休暇というところだね。但し、日本のサラリーマンにはあり得ないことなんだけど、彼の休暇は無期限だった。並みの会社員ならばクビだよね。

37歳のゲーテが向かったのはイタリア。その頃のドイツ・フランス・イタリアなどの貴族や富裕層の人々は一度はイタリアを目指していたんだ。例えば、フランスのモンテスキューなどもイタリアを旅している。ゲーテの父親も30歳の時にイタリアを旅している。ゲーテの息子はローマを旅行中に亡くなっているんだ。

イタリアの首都ローマの北の入り口だったポポロ門

イタリア北部のヴェネツィアには2週間以上も滞在し、しかしフィレンツェは単に通過しただけのゲーテは、西暦1786年10月29日にローマに到着した。ちなみに、上の画像はローマの北の入り口となっていたポポロ門なんだけど、彼もこの門からローマに入ったんだそうな。

古代ローマ遺跡を見て歩いたゲーテ

イタリアの首都ローマに滞在したゲーテは、フォロ・ロマーノなどの古代ローマ遺跡を見て歩いたらしい。但し、その頃のフォロ・ロマーノは現在のように発掘が進んでおらず、遺跡は土に埋まり、牛たちが草を食べているような場所だったらしいけどね。

そんなフォロ・ロマーノを歩いたゲーテは、古代ローマ帝国の皇帝トラヤヌスの記念柱の上にも登ったらしい。その上からの眺めが素晴らしかったと書いているんだそうな。ちなみに下の画像はトラヤヌスのフォロと左手遠くに見えるのがトラヤヌスの記念柱。高さは 40メートルあるとか。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにあるトラヤヌスのフォロと記念柱

その他にもゲーテは古代ローマゆかりの場所を見て歩いている。例えば、名高い円形劇場コロッセオに比べれば他の全てが小さく見えると書いたそうな。また皇帝ハドリアヌスの墓として築かれたサンタンジェロ城ナヴォナ広場のパンテオンなども訪れたらしい。

更にゲーテはローマからナポリやシシリアなどにも足を伸ばしている。ナポリから近いポンペイ遺跡なども見て歩いたらしい。ちなみに、ポンペイ遺跡の発掘が始まったのは西暦1748年のこと。当時のナポリ王カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)の命によるものだった。

ついでながら、ナポリに考古学博物館が創設されたのは西暦1787年のことなんだけど、ゲーテは見ることが出来たのかな。ポンペイの出土品など素晴らしいコレクションが展示されているんだけどね。

ゲーテ気に入りの古代彫刻

ローマをはじめとするイタリア各地では古代遺跡を見ることが出来るんだけど、それに加えて古代の彫刻などの美術品が発掘さえるよね。ゲーテはそんな古代の芸術作品を熱心に見て歩いたそうな。

イタリアの首都ローマのヴァティカン美術館・博物館の中の八角形の中庭にあるベルヴェデーレのアポロン像

ゲーテが最も気に入った古代の彫刻が上の画像にあるベルヴェデーレのアポロン像らしい。ヴァティカン美術館・博物館の中の八角形の中庭に展示されているんだ。ラオコーンもゲーテの気に入りだったらしい。そのラオコーンも八角形の中庭で見ることが出来るね。

その頃のローマには、遺跡から発掘された古代の彫刻などを売る古美術商などが多かったらしい。彼らはゲーテにも古代彫刻を売ろうとしたんだそうな。ゲーテも一時は買う気になったとか。でも、ニセモノをつかまされることを怖れて、買うことが出来なかった。今でも旅先でニセモノを買わされるってあるよね。

そして西暦1788年4月23日、ゲーテはローマを出発し、帰国の途に着いた。まだ38歳。ドイツの文豪となる彼の活躍はまだまだこれからなんだ。

その後のゲーテ、ドイツの文豪

ドイツに帰国したゲーテは、いくつもの代表作を発表している。西暦1796年には「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」を発表。西暦1803年には「チェッリーニ自伝」のドイツ語訳を出版。この作品はイタリア旅行の際に読んだチェッリーニ自伝を翻訳したもの。このマニエリズムの彫刻家チェッリーニが面白い人物なんだ。彫刻家なんだけど、ハプスブルク家の皇帝カール5世の軍がローマ劫略を行った際には、銃を手にサンタンジェロ城にこもって戦ったりしている。

西暦1808年には15世紀から16世紀にかけてドイツに足跡を残す錬金術師あるいは魔術師ヨハン・ゲオルク・ファウストの伝説に基づいた戯曲「ファウスト 第1部」を発表している。この「ファウスト 第1部」に登場するヒロインの名はグレートヒェン。ゲーテの十代の頃の失恋の相手の名前だった。この年、ゲーテはフランス皇帝ナポレオンと会っている。ナポレオンはゲーテの「若きウェルテルの悩み」を愛読していたそうな。

西暦1817年には彼自身の旅行に基づく「イタリア紀行」を出版。西暦1821年には「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」を出版。そして西暦1832年、82歳のゲーテが亡くなった。「ファウスト 第2部」が出版されたのは、その翌年のことだった。

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