スペイン王カルロス3世として即位したナポリ王カルロ7世西暦1759年、スペイン王フェルナンド6世が亡くなり、ナポリ王カルロ7世となっていた異母弟がスペイン王カルロス3世として即位した。そのカルロス3世が国王として継承したのが、下の画像にあるマドリッドの王宮だった。
このマドリッドの王宮を築いたのは、二人の兄弟の父にあたるスペイン王フェリペ5世だった。フェリペ5世はフランス王ルイ14世太陽王の孫にあたり、フランスの首都パリの郊外にあるヴェルサイユ宮殿で生まれたブルボン家のプリンスだった。
ナポリ王となったブルボン家のカルロ7世スペイン継承戦争の結果としてフランスのブルボン家のプリンスであるフェリペ5世がスペイン王となった。ところが、アラゴン王フェルナンド2世からハプスブルク家のスペイン王カルロス1世を経てスペイン王家によって支配されていたイタリア南部のナポリやシシリアは、スペイン継承戦争においてオーストリアのハプスブルク家の手に移ってしまった。そして西暦1733年、ポーランド王位をめぐってポーランド継承戦争が起こった。フランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルク家はそれぞれにポーランド王の候補を支援して戦った。 そんな状況下でブルボン家出身のスペイン王フェリペ5世の息子であるカルロスはフランス王の支援を得てイタリアで戦い、オーストリアのハプスブルク家の支配下にあったナポリとシシリアを西暦1734年に占領している。
その翌年の西暦1735年、スペインのブルボン家のカルロスがナポリ王カルロ7世として即位したんだ。(上の画像は17世紀に築かれ、18世紀から19世紀に改修されたナポリの王宮。)
ちなみに、スペインのブルボン家のカルロスは、メディチ家の最後のトスカナ大公ジャン・ガストーネが亡くなればトスカナ大公位を継承するとされていた。その為にフィレンツェを中心とするトスカナ地方には3万人ものスペイン軍が駐屯していた。ポーランド継承戦争に乗じてナポリを占領した際にカルロスが率いた軍の主力は、トスカナ地方に駐屯していたスペイン軍部隊だったそうな。カルロスがナポリ王となったことで、トスカナ大公位はハプスブルク・ロレーヌ家が継承することになったんだけどね。
ナポリ王カルロ7世と国立考古学博物館ナポリ王カルロ7世の母親はイタリアの名家だったファルネーゼ家の出身だった。その母親からカルロ7世が継承したのが、古代の彫刻や美術品を含むファルネーゼ家のコレクションだった。(下の画像はその一つであるファルネーゼの雄牛。ナポリ国立考古学博物館で見ることが出来る。)
そして西暦1748年、ナポリ王カルロ7世は、古代の街ポンペイの発掘を命じている。その結果、発掘されたポンペイのモザイク画やフレスコ画などが彼のコレクションに加わったわけだ。(その中でも特筆すべきはアレクサンダー大王のイッソスの戦いを描いたモザイク画だよね。)
スペイン王カルロス3世となったナポリ王カルロ7世フェリペ5世が亡くなった後、スペイン王は嫡男のフェルナンド6世が継承していた。ところが彼は後継者を残すことなく西暦1759年に亡くなった。その結果、異母弟であるナポリ王カルロ7世がスペイン王カルロス3世として即位したわけだ。(それに伴いナポリ王となったのがフェルディナンド4世。)スペインに移ったカルロス3世は画家ゴヤをお抱えの絵師とした。やがてはスペインを代表する画家ゴヤとして知られる彼も、当時は教会などの依頼によって売れない宗教画を描いていたらしい。
そしてカルロス3世の死後、スペイン王となった息子のカルロス4世はゴヤを宮廷画家としたんだそうな。その結果、ゴヤはスペイン王家の人々の肖像画を多く残している。例えばマドリッドのプラド美術館で見ることの出来る「カルロス4世の家族」(上の画像)などだね。
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