常に戦いの舞台となったコート・ダジュールの街ニースフランス南部コート・ダジュールの街ニースといえば、地中海でも有数の観光地だよね。7年以上もイギリスの首都ロンドンに住んでいた私にとっては、暖かくて明るくて食べ物も美味しい素敵な場所だった。(下の画像は、早春のニースのカーニバルの花のパレードの様子。)
でもね、このニースは常に戦いの舞台になってきた場所だった。紀元前600年頃に今のフランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユに古代ギリシャ人が定住したんだけど、その古代ギリシャ人たちが紀元前350年頃にニースを築いたらしい。
ニースがサヴォワ公家の領地となった古代ギリシャ人の後は、エクサン・プロヴァンス(エクス)やリヨンに拠点を置いた古代ローマ帝国がやって来た。それからゲルマン諸族が襲来。次いで 8世紀初頭にイベリア半島を征服したイスラム教徒が来て、10世紀にプロヴァンス伯ギョーム1世によって駆逐されるまでイスラム教徒が今のフランス南部一帯を蹂躙したんだ。その後のニースも引き続き戦いの舞台となっていた。神聖ローマ帝国皇帝、フランス王、プロヴァンス伯、ピサ、ジェノヴァなどが綱引きを繰り返し、ニースはあちらに引かれ、こちらに踏みつけられる存在だった。
そして西暦1388年、ニースはサヴォワ公の領地となった。ニースの争奪戦はまだまだ続くんだけど、基本的に19世紀までニースはサヴォワ公の支配下にあった。(上の画像はニースのサレヤ広場の食べ物市とサヴォワ公家宮殿の風景。)
ニースを包囲したルイ14世太陽王のフランス軍それからはニースの領主であるサヴォワ公と神聖ローマ帝国皇帝に対するフランス王との戦いが争いの主軸となっていった。特にハプスブルク家の皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世は戦いを繰り返し、その戦火はニースにも及んでいた。そしてパリ郊外にヴェルサイユ宮殿を造営したことで名高いルイ14世太陽王の時代になる。まずはアウクスブルク同盟戦争の最中の西暦1691年にニースがフランス軍に占領され、サヴォワ公に返還されたのは5年後のことだった。 更には西暦1701年にスペイン継承戦争が始まり、西暦1705年にニースはフランス軍に包囲され、翌年には陥落して城砦・城壁が破壊された。そんなニースがサヴォワ公に返還されたのはユトレヒト条約が結ばれた西暦1713年のことだった。 ルイ14世太陽王が亡くなって後も、ニースは何度もフランス軍の攻撃を受けている。西暦1744年にはフランス・スペイン連合軍に攻略されて、4年間も占領されていた。フランス革命後の西暦1792年にもフランス軍に占領され、サルディニア王家(元のサヴォワ公家)に返還されたのは皇帝ナポレオンが失脚した西暦1814年のことだった。
そんなこんなで2000年を越える歴史の中でニースは何度も何度も包囲され、攻撃され、陥落し、占領されてきたんだ。上の画像はそんなニースの大聖堂(サント・レパラテ大聖堂)なんだけど、ここでニースの人々は繰り返し繰り返し平和を祈ったことだろうね。
イタリア統一の為にフランスに割譲されたニースその後のニースには、暗くて長くて湿っぽい冬を避ける為にイギリス人が来るようになった。そしてニースの海岸通プロムナード・デ・ザングレが作られたのが西暦1820年。(下の画像はその海岸通から眺めた地中海。)
他方で、19世紀にはイタリア統一に向けての動きが活発になり、ナポレオン帝国占領下のニースで生まれたジュゼッペ・ガリバルディがナポリを征服した翌年の西暦1861年には統一イタリア王国が成立している。
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