ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1521年、スペインのコンキスタドレス(征服者)エルナン・コルテスがアステカ帝国(メキシコ)を滅亡させた。


メキシコのアステカ帝国を滅ぼした
コンキスタドレス(征服者)エルナン・コルテス

西暦1485年、スペインの貧乏貴族の家にエルナン・コルテスが生まれた。大学で学んだ彼は、新大陸へ渡り、スペインのキューバ総督ベラスケスの秘書となったらしい。

西暦1519年、そのキューバ総督ベラスケスの命により、総勢500名あまりの部下を率いたエルナン・コルテスがメキシコ探検に出発した。コルテスはアステカ帝国に反抗していた地元民の勢力を味方につけることに成功し、兵力を増やすことが出来た。

スペインのコンキスタドレスの一人でアステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテス

そして西暦1521年、エルナン・コルテスはアステカ帝国を滅ぼし、中米メキシコはスペインの支配下に入ったわけだ。(上の画像は、かつてのスペインの 1,000ペセタ紙幣に印刷してあったエルナン・コルテスの肖像。既にスペインの紙幣はヨーロッパの新通貨ユーロに代わっちゃったけどね。)

南米のインカ帝国を征服したピサロ

スペインのコンキスタドレスの一人でインカ帝国を征服したピサロ 続いて、もう一人のスペインのコンキスタドレス(征服者)の代表者フランシスコ・ピサロは、西暦1470年頃にスペインの田舎貴族の子として生まれた。でも、庶子だったことから学校にも行かなかったらしい。そんな彼もコルテスと同様に新大陸に渡り、太平洋を発見したバルボアの部下となった。

インカ帝国の黄金の噂を耳にしたピサロは、西暦1524年と1526年にインカを探検した。その後、一旦は帰国し、スペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)からインカの支配の許しを得たらしい。

そして西暦1531年、180名ほどの部下を率いたピサロは、インカ帝国を目指してパナマを出発したんだ。

やがてインカの皇帝を捕らえたピサロは、莫大な身代金を要求。それを受け取ったピサロは皇帝を殺害し、インカ帝国を滅ぼしてしまった。西暦1533年のことだった。

右上の画像はコルテスと同じくスペインの旧1,000ペセタ紙幣に印刷されていたピサロの肖像。

スペインによる中南米での鉱山開発と
ヨーロッパへの銀の流入

コンキスタドレス(征服者)の活躍によって中南米を征服したスペインは、原住民インディオ(後にはアフリカの黒人奴隷)を使って鉱山開発を行った。その代表例が西暦1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山だね。

その結果、大量の銀がスペインに運び込まれることになり、ヨーロッパには価格革命が起こるわけだ。また、この銀はハプスブルク家支配下のスペインに黄金時代をもたらすことになったんだね。

ハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世を描いたコイン(ナポリ国立考古学博物館に展示)

そんな新大陸の銀の流入に助けられたのが、ハプスブルク家のカルロス1世(皇帝カール5世)の息子のスペイン王フェリペ2世だった。(上の画像はイタリアのナポリにある国立考古学博物館で見たコインに描かれたフェリペ2世の横顔。)

といっても、西暦1556年にスペイン王に即位したフェリペ2世は、亡くなるまでに4回も破産を宣言している。ネーデルラント独立戦争(ベルギーは保ったもののオランダは独立しちゃった)などで財政が悪化し、新大陸の銀があっても足りなかったんだね。

スペインのコンキスタドール(征服者)のその後

ところで、新大陸の征服を進めていったスペインのコンキスタドールなんだけど、まずはコルテスは侯爵になったんだそうな。その子孫はスペインで今も侯爵位を保っているらしい。他方で、新大陸の女性との間にも子供が生まれたんだけど、その子孫もメキシコに住んでいるんだそうな。

他方のピサロなんだけど、ペルーのリマにはスペインからピサロの像が贈られたらしい。ところが、そのピサロはペルーの文明を破壊した人物ということで地元の反発が根強く、とうとうピサロの像は撤去されちゃったんだそうな。コルテスにしてもピサロにしても、遡ってコロンブスにしても、新大陸では相当に残虐な破壊的なこともしたみたいだから、無理もないんだろうね。

ちなみに、大航海時代のポルトガルは、ヴァスコ・ダ・ガマが発見したインド航路を利用して、インドに拠点を築いたよね。でも、その為にインドの王侯やイスラム教徒たちを軍事力で圧倒したらしい。また、インドへ向かったカブラルがブラジルを発見したけど、そのブラジルでは先住民や黒人奴隷に対して相当に残虐な態度をとっていたとか。そういう時代だった・・・ということでは済まされないんだろうね。

トマトとイタリアの味覚

全くもって余談なんだけど、スペインのコンキスタドールが新大陸を探検し征服していったことの重大な副産物として、トマト(ポモドーロ)がイタリアにもたらされたことがある。

そこでトマトはイタリアの味覚に革命を起こしたんだ。例えば、イタリアのピザの本場ナポリ老舗のピッツェリア「ポルタルバ」「ブランディ」などがある)でトマトはピッツァ・マルゲリータを生み出している。スパゲティだってトマトがあればこそ、色々と美味しいヴァリエーションが楽しめるよね。

その他にも、新大陸からもたらされたポテトは旧世界の貧しい人々に貴重な食料をもたらしたと言えるんだろうね。いずれにせよ、新大陸からもたらされたあれこれに感謝。(タバコなど問題になるものもあるんだけどね。)

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