ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦1807年、ナポレオン支配下のフランス・スペイン連合軍の侵攻を受け、ポルトガル女王マリア1世がブラジルに逃れた。


ポルトガル女王マリア1世の肖像画

ある年の春、ポルトガルケルス宮殿を訪れたことがある。ポルトガルにおいては、フランスの首都パリの郊外に太陽王ルイ14世が造営したヴェルサイユ宮殿にもなぞらえられる宮殿なんだそうな。

ポルトガルのケルス宮殿で見たポルトガル女王マリア1世の肖像画

そのケルス宮殿の中で見かけたのが、上の画像にある肖像画だった。ポルトガル女王マリア1世の肖像画か。その時には女王マリア1世についての知識もなく、特に考えもなくその肖像画を撮影したんだ。

そして旅を終えて帰宅した後、いつものように旅の記録を整理した。ついでにポルトガル女王マリア1世についてもちょいとだけ調べてみた。その波乱万丈の人生に驚かされたね。

ポルトガル女王マリア1世の即位

西暦1734年に生まれたマリア1世が13歳の年、父であるポルトガル王ジョゼ1世が造営を始めたのが、下の画像にあるケルス宮殿だった。ところが、西暦1755年にポルトガルをリスボン地震が襲った。津波で亡くなった1万人を含む数万人が地震で犠牲になったらしい。その地震の後、父王ジョゼ1世は閉所恐怖症にもなってしまったんだそうな。

ポルトガルのケルス宮殿の外観

その父王が亡くなった西暦1777年、ポルトガル女王マリア1世が即位した。彼女の統治下でケルス宮殿はポルトガル王家の王宮とされている。

マリア1世統治下のポルトガルの混迷

ポルトガル女王となったマリア1世が最初に行ったことは、父王ジョゼ1世が全幅の信頼を置いていたポンバル侯爵を更迭することだった。リスボン地震からの復興を成し遂げたポンバル侯爵だったけど、やがて独裁者となっていた。そんなポンバル侯爵をマリア1世は嫌い、直ちに遠ざけたわけだ。(下の画像はポルトガルの首都リスボン市内にあるポンバル侯爵広場に立つポンバル侯爵の像。)

ポルトガルの首都リスボンのポンバル侯爵広場に立つポンバル侯爵像

でも、マリア1世はポンバル侯爵の経済政策などを踏襲したんだけど、その結果としてポルトガルの経済は好調の波に乗りつつあったらしい。ところが、西暦1786年には女王が正気を失うという事件が起こっている。続いて西暦1791年には彼女の長男が若くして亡くなり、彼女の精神状態は更に悪化してしまった。

他方で西暦1789年には民衆がパリのアンヴァリド(廃兵院)ナポレオンのお墓がある)を襲い、フランス革命が勃発。西暦1793年にはフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑され、ショックを受けたマリア1世の狂気は更に深まったらしい。

当初はポルトガルと連携して革命フランスに対抗していたスペインだった。ところが、西暦1796年にはスペインは革命フランスと同盟を結んでいる。更に西暦1801年にはスペイン軍がポルトガルに侵入。窮地に陥ったポルトガルは領土の一部をスペインに割譲して、苦しまぎれの和平を得た。

半島戦争とブラジルに逃れたポルトガル女王マリア1世

ところが、西暦1807年、フランス皇帝ナポレオンの将軍ジュノーの指揮下のフランス・スペイン連合軍がポルトガルに侵攻してきた。ポルトガルは抵抗することも出来なかった。女王マリア1世をはじめとする王室の人々や貴族や役人たち、総計1万人もの人々がポルトガルを出て植民地ブラジルに逃れた。その船団を護衛したのは、同盟国のイギリス艦隊だった。

翌年の西暦1808年、スペイン王カルロス4世の廃位をきっかけとして、スペインでもフランスに対する独立戦争が始まった。その動きに呼応してポルトガルに上陸したのがアーサー・ウェルズリー卿(後のウェリントン公)の率いるイギリス軍だった。イギリス・ポルトガル連合軍は戦いに勝利をおさめ、フランス軍を撤退を余儀なくさせた。

イギリスの首都ロンドンの金融街シティに立つウェリントン公騎馬像

その後もフランス軍は何度かポルトガルに侵攻してきた。しかし、イギリス軍・ポルトガル軍との戦いに敗れ、撤退している。(上の画像はイギリスの首都ロンドン金融街シティに立つアーサー・ウェルズリー卿、すなわちウェリントン公の騎馬像。)

やがて西暦1815年にナポレオンが没落し、ポルトガルにも平和が戻ってきた。でも、長年の戦いでポルトガルの経済や社会は混乱しており、王室の帰国は見送られた。そして西暦1816年、ポルトガル女王マリア1世はブラジルで亡くなり、息子のジョアン6世が即位している。

他方、ポルトガル王室が逃れた先の植民地ブラジルの立場は強化され、本国ポルトガルと対等とされた。そんなブラジルから王室が本国ポルトガルに戻ったのは西暦1821年のこと。その翌年の西暦1822年にはブラジルがポルトガルから独立している。大航海時代にスペインと並んで太陽の沈むことのない帝国を築いたポルトガルの決定的な落日だった。

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