ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1806年、フランス皇帝ナポレオンがプロシア王国(ドイツ)の首都ベルリンに入城した。


フランス皇帝ナポレオンによるライン連邦とプロシア王国

西暦1805年10月にはトラファルガーの海戦においてフランス艦隊はネルソン提督指揮下のイギリス艦隊に敗北を喫した。しかし、その年の12月にはフランス皇帝ナポレオンはアウステルリッツの戦いにおいてオーストリアに対して勝利を得た。

その勝利を土台として、翌年の7月12日にナポレオンはドイツ内の王国・公国などを同盟させてライン連邦を成立させ、ドイツにおける影響力を飛躍的に強めた。翌月の8月6日、ハプスブルク家の皇帝フランツ2世は退位し、以て神聖ローマ帝国の長い歴史は終わりを告げたんだ。

他方でドイツ北部のプロシア王国は、ナポレオンがドイツに支配の手を伸ばしてきたことに大いなる脅威を感じていた。かくしてライン連邦の成立の3ヶ月後、つまり西暦1706年10月6日、プロシア王国はイギリス、ロシア、スウェーデン、ザクセンなどと共に第4次対仏大同盟を成立させている。(下の画像はドイツの首都ベルリンに残るシャルロッテンブルク宮殿。ここにかつてのプロシア王国の宮廷が置かれていた。)

ドイツの首都ベルリンにあるシャルロッテンブルク宮殿

しかし、プロシア王国の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世はフランスと戦うことには消極的だった。しかし、王子ルイ・フェルディナントなどの急進的な反仏派がフランスと戦うべきことを王に説いたらしい。

プロシア王国の敗北とナポレオンのベルリン入城

王子を中心とする主戦派の説得により、プロシア王もフランスに対する戦いを決意し、軍を進撃させた。そして西暦1706年10月10日、ザールフェルトの戦いにおいてプロシア王国軍がフランス軍に敗北。その戦いにおいて主戦派の中心だった王子ルイ・フェルディナントは戦死。33歳だった。軍事的な才能を高く評価されていた若者だったそうな。

続いて10月14日、イエナ・アウエルシュタットの戦いにおいてプロシア王国軍がフランス軍に敗北。敗走するプロシア王国軍を追撃するフランス軍は、10月25日に首都ベルリンを占領。その二日後にはフランス皇帝ナポレオンがベルリンに入城している。

ドイツの首都ベルリンにあるブランデンブルク門

フランス皇帝ナポレオンは、ベルリンにあるブランデンブルク門(上の画像)の前でパレードを行っている。このブランデンブルク門は西暦1791年(フランス革命勃発の2年後)に完成したばかりだった。(ちなみに、第二次世界大戦の後に築かれたベルリンの壁は、この門のすぐ前にあった。)

皇帝ナポレオンはオーストリア継承戦争や七年戦争で名高いプロシア国王フリードリヒ2世(大王)の墓を訪ね、亡き大王が生きていればフランス軍はベルリンに入ることは出来なかっただろうと言ったそうな。

フランス皇帝ナポレオンの更なる前進

プロシア王国との戦いにナポレオンが勝利を重ねる間にも、7月に成立したライン連邦に参加する王国・公国が増えていった。例えば神聖ローマ帝国が解体した後に公国から王国となったザクセン王国は、12月にライン連邦に参加している。(下の画像は旧東ドイツの古都ドレスデンにあるザクセン王家ゆかりのレジデンツ城。)

旧ザクセン王国の首都ドレスデンにあるレジデンツ城(ドイツ)

他方、敗北を重ねたプロシア王国は西暦1807年にフランスとティルジットの和約を結んで領地を割譲し、賠償金の支払義務を負った。ナポレオンはプロシア王国から獲得したエルベ川以西の土地にヴェストファーレン王国を成立させ、弟のジェロームを国王としている。その年の11月には弟ジェロームの王国もライン連邦に参加し、ドイツにおけるナポレオンの支配は更に強固になった ・・・ と見えたわけだ。

帰ってきた勝利の女神ヴィクトリア

しかし、フランス皇帝ナポレオンの勢いも次第に下り坂に向かっていく。西暦1808年にはスペインが独立戦争を始めた。その4年後にはモスクワ遠征が失敗に終わった。西暦1813年にはライプツィヒでフランス軍が敗北。かくして翌年にはナポレオンが退位するに至ったわけだ。

西暦1814年にフランスの首都パリを占領した対仏大同盟軍の中にはプロシア王国軍もいた。そのプロシア王国軍がパリからベルリンに持ち帰ったのが、4頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像だった。

ドイツの首都ベルリンにあるブランデンブルク門の上の4頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像

そのヴィクトリア像こそ西暦1806年にベルリンに入城したナポレオンがパリに持ち去っていたものだった。ベルリンに帰ってきた勝利の女神ヴィクトリア像は、元々あった場所、つまりブランデンブルク門の上に戻された。それが上の画像だね。

次のページ



姉妹サイト ヨーロッパ三昧

ヨーロッパ三昧

このサイト「ヨーロッパの歴史風景」の本館が「ヨーロッパ三昧」です。イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプト・ロシア・アゼルバイジャンなど25国45編の旅行記を掲載しています。こちらも遊びに行ってみてくださいね。

「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

Copyright (c) 2002-2017 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
管理・運営 あちこち三昧株式会社
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。