ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前196年、古代エジプトの新しい法律がロゼッタ・ストーンに刻まれた。


ロゼッタ・ストーンに古代エジプトの法律が刻まれた

紀元前196年3月27日、古代エジプトのファラオ、プトレマイオス5世エピファネスの1回目の戴冠記念日に裁可された法律が、古代エジプト語とギリシャ語で石に刻まれた。

その石に刻まれた古代エジプト語の文章には、古代エジプトの正式の公文書に使われるヒエログリフと草書体たるデモティックの二種類の文字が使われていたんだそうな。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代エジプトのロゼッタ・ストーン

その石というのが、今はイギリスの首都ロンドン大英博物館で見ることの出来るロゼッタ・ストーン(上の画像)というわけだね。

ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタ・ストーン

ロゼッタ・ストーンに文字が刻まれてから約 2千年後の西暦1799年、フランス革命後に軍人として頭角を現していたナポレオンのエジプト遠征軍の分遣隊が、ナイル川のほとりのエル・ラシード村(これがなまってロゼッタ村)で、古代エジプト文字の刻まれた石を発見した。それがロゼッタ・ストーンと呼ばれるようになった。

しかし、ナポレオンが遠征軍をエジプトに残してフランスの首都パリに戻った後、フランス遠征軍はイギリス軍に敗れてしまった。そこで結ばれたアレクサンドリア条約(1801年)によって、ロゼッタ・ストーンはイギリス王ジョージ3世のものとされた。そのイギリス王ジョージ3世は、ロゼッタ・ストーンを大英博物館に寄贈したというわけだ。

歴史に「もし」は禁物と言うけれども、私は歴史の「もし」が大好きなわけで、「もし」ナポレオンがエジプトを去らなければ、あるいは「もし」フランス軍がエジプトでイギリス軍に敗れなければ、このロゼッタ・ストーンはパリのルーブル美術館に展示されていたかもしれないね。

ヒエログリフとフランソワ・シャンポリオン

ロゼッタ・ストーンに刻まれている三種類の文字の中で、古代エジプトの正式の公文書に使われていたのがヒエログリフだった。でも、この文字は西暦4世紀頃には使われなくなっており、誰も読むことが出来なくなっていたんだそうな。

そして、西暦1822年、語学の天才がロゼッタ・ストーンに刻まれた文字の読み方を発見し、その方法をフランス学士院に書き送った。その天才がフランス人フランソワ・シャンポリオンだった。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代エジプトのプタハシュプセスの偽扉

そんな天才のおかげで古代エジプトの文字を読めるようになり、例えば上の画像にあるような古代エジプトの貴族の墓碑に刻まれた記録も解読できるようになったわけだね。(そのおかげで世界史の教科書が分厚くなり、覚えるべき項目も増えたのかもしれないけどね。)

大英博物館の古代エジプト関連の展示

そんな貴重な発見だったロゼッタ・ストーンは、大英博物館の古代エジプト関連の展示の中にある。そこでは、他にも古代エジプトのファラオ ラムセス2世の像やアメンヘテプ3世の像、ミイラ関連のいろいろなども見ることができる。大英博物館でも人気のコーナーだよね。

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