エクサン・プロヴァンス(エクス)の街が築かれた紀元前600年頃に古代ギリシャ人が定住して生まれた港町マルセイユ。そのマルセイユを拠点に、古代ギリシャ人たちは今のフランス南部プロヴァンス地方の各地、更にはより内陸まで交易を行っていた。ところが、紀元前 2世紀頃、マルセイユの人々は周囲に住む土着の人々と対立するようになっていった。そこで既にイタリアのローマのみならず、広く地中海各地に勢力を拡大していた古代ローマ帝国に支援を求めた。
マルセイユの人々の要請によって今のフランス南部プロヴァンス地方に進出した古代ローマ帝国は、紀元前122年に今のエクサン・プロヴァンス(エクス)の街を築いたわけだ。(上の画像は、そのエクサン・プロヴァンスにあるサン・ソヴール大聖堂の正面ファサード。)
エクサン・プロヴァンス(エクス)の噴水古代ローマ帝国は、この街を「アクエ・セクティエ」と名づけたんだそうな。ここで「アクエ」という言葉は「水」を意味するんだそうな。その「アクエ」が転じて、「エクス」と呼ばれるようになったらしい。
水の街、エクサン・プロヴァンス(エクス)には噴水が多い。上の画像は、そんな噴水の一つである「4頭のイルカの噴水」の様子。
古代ローマ帝国の属州の拡大エクサン・プロヴァンス(エクス)に拠点を置いた古代ローマ帝国は、そこから支配領域を広げていった。道路を作り、交易も広げていった。例えば今のモナコ公国のあたりにあった古代ギリシャ人の拠点も紀元前2世紀末には古代ローマ帝国の支配下に入ったんだそうな。今の岩山の上の鷲の巣村エズのあたりも古代ローマ帝国の支配下にあったらしい。そして紀元前1世紀の半ば、古代ローマ帝国の主導権をめぐって、ポンペイウスとシーザー(カエサル)が戦ったわけだ。その際に、古代ギリシャ人の街マルセイユはポンペイウスの側に立った。でも、シーザー(カエサル)が勝利を得て、マルセイユは独立の地位を失ってしまった。
上の画像は、丘の上にあるノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院から眺めたマルセイユの風景。まったくのついでなんだけど、上の画像の中の青い矢の先に見えるのはディフ島(イフ島)の要塞。フランス王フランソワ1世が築いた要塞だね。アレクサンドル・デュマの小説の中のモンテ・クリスト伯爵は、あの島の監獄に囚われていたというわけだ。
フランス南部プロヴァンス地方に築かれた古代ローマ人の街その後、シーザー(カエサル)の養子にして初代古代ローマ皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の統治下で、属州ガリア・ナルボネンシスには多くの街が築かれていった。
今のニースの一角にも古代ローマ人の街が築かれたんだそうな。(上の画像は、フランス南部の人気の観光地ニースの海辺の風景。)
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