古代エジプトで最高の権力者とされるラムセス2世古代エジプトの多くの王たちが葬られた王家の谷で発見された墓から黄金のマスクなどの秘宝が発見されたツタンカーメン王は、古代エジプトの王(ファラオ)たちのなかでも最も有名な人物なのかもしれないね。でも、病弱で若くして亡くなった(あるいは暗殺された)彼は王位継承者を残さなかった。その結果、間もなく彼の属した第18王朝は断絶してしまったんだ。
続いて成立したのが第19王朝だった。その3代目の王がラムセス2世だった。(その像が上の画像なんだけど、イギリスの首都ロンドンの大英博物館に展示されている。)
ヒッタイトと戦ったラムセス2世古代エジプトきっての権力者だったラムセス2世は、王でありながら他方で立派な戦士だった。立派な体格と強靭な体力を持ち、並みの兵士では使うことの出来ない強弓を引いて戦ったらしい。そんな彼の姿が下の画像にある壁画に描かれている。
上の壁画(アブ・シンベル大神殿の内部にある)に描かれているのは、紀元前1274年にエジプトとヒッタイトが今のシリアでぶつかったカデシュの戦いにおけるラムセス2世の戦いぶりなんだそうな。彼の父王の代からヒッタイトとエジプトはシリア周辺の支配をめぐって争っていた。その戦いを彼も引継ぎ、軍を率いて何度もシリア方面に遠征したんだそうな。
アブ・シンベル大神殿を築いたラムセス2世大軍団を率いて何度も戦いに赴いたラムセス2世なんだけど、他方で彼は多くの建築物をエジプト各地に残した王でもあった。そんな建築物の中には、古都テーベ(今のルクソール)にあるカルナック神殿の大列柱室なども含まれている。但し、その大列柱室の建設を始めたのは第18王朝のアメンヘテプ3世だったけどね。
でも、ラムセス2世が残した建築物の筆頭といえば、エジプト南部にあるアブ・シンベル大神殿(上の画像)だね。ちなみに、西暦1960年にアスワン・ハイ・ダムの建設が始まったんだけど、そのダム湖によってアブ・シンベル大神殿に水没の危機が迫った。そんな大神殿を守る為にユニセフが音頭をとり、大神殿の移転工事が行われたんだ。そんなユニセフの活動が後に世界遺産条約の締結・発効に至ったんだそうな。その出発点の一つがこのアブ・シンベル大神殿だった。
ラムセス2世の数々の像ラムセス2世はエジプト各地に多くの建築物を残した。(とはいえ、実は昔の王が築いた建築物に刻まれた昔の王の名前を削り取り、あらためて自分の名前を刻ませたこともあったらしい。)また、彼は各地に自分の像を残している。上に画像のあるアブ・シンベル大神殿の正面のみならず内部にもいくつもの像を立てさせている。ルクソール神殿にもある。サッカラの階段ピラミッドの近くにある古都メンフィスにも残っている。
更にはカルナック神殿に立つラムセス2世の像が上の画像だ。ところが、上の像は今ではパネジェムの巨像と呼ばれている。
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