ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前1279年、古代エジプトでラムセス2世が即位。ヒッタイトと戦い、アブシンベル大神殿を築いた。


古代エジプトで最高の権力者とされるラムセス2世

古代エジプトの多くの王たちが葬られた王家の谷で発見された墓から黄金のマスクなどの秘宝が発見されたツタンカーメン王は、古代エジプトの王(ファラオ)たちのなかでも最も有名な人物なのかもしれないね。でも、病弱で若くして亡くなった(あるいは暗殺された)彼は王位継承者を残さなかった。その結果、間もなく彼の属した第18王朝は断絶してしまったんだ。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館にある古代エジプトの王ラムセス2世の像

続いて成立したのが第19王朝だった。その3代目の王がラムセス2世だった。(その像が上の画像なんだけど、イギリスの首都ロンドン大英博物館に展示されている。)

三代目は身上をつぶす(あるいは家をつぶす)なんて言われるよね。ところが、古代エジプト第20王朝の3代目のラムセス2世は、家をつぶすどころか、古代エジプトでも最高・最強・最大の権力者だったらしい。

ヒッタイトと戦ったラムセス2世

古代エジプトきっての権力者だったラムセス2世は、王でありながら他方で立派な戦士だった。立派な体格と強靭な体力を持ち、並みの兵士では使うことの出来ない強弓を引いて戦ったらしい。そんな彼の姿が下の画像にある壁画に描かれている。

アブ・シンベル大神殿の中の壁画に描かれたヒッタイトと戦う王ラムセス2世の姿(エジプト)

上の壁画(アブ・シンベル大神殿の内部にある)に描かれているのは、紀元前1274年にエジプトとヒッタイトが今のシリアでぶつかったカデシュの戦いにおけるラムセス2世の戦いぶりなんだそうな。彼の父王の代からヒッタイトとエジプトはシリア周辺の支配をめぐって争っていた。その戦いを彼も引継ぎ、軍を率いて何度もシリア方面に遠征したんだそうな。

アブ・シンベル大神殿などに残る壁画などでは、カデシュの戦いなどでエジプトはヒッタイトに対して勝利を得たように描かれている。が、実際のところはいずれも決定的な勝利を収めることは出来なかったらしい。かくして紀元前1258年には両国の間で平和条約が結ばれ、ラムセス2世はヒッタイトの王女を妃としている。

アブ・シンベル大神殿を築いたラムセス2世

大軍団を率いて何度も戦いに赴いたラムセス2世なんだけど、他方で彼は多くの建築物をエジプト各地に残した王でもあった。そんな建築物の中には、古都テーベ(今のルクソール)にあるカルナック神殿の大列柱室なども含まれている。但し、その大列柱室の建設を始めたのは第18王朝のアメンヘテプ3世だったけどね。

アブ・シンベル大神殿(エジプト)

でも、ラムセス2世が残した建築物の筆頭といえば、エジプト南部にあるアブ・シンベル大神殿(上の画像)だね。ちなみに、西暦1960年にアスワン・ハイ・ダムの建設が始まったんだけど、そのダム湖によってアブ・シンベル大神殿に水没の危機が迫った。そんな大神殿を守る為にユニセフが音頭をとり、大神殿の移転工事が行われたんだ。そんなユニセフの活動が後に世界遺産条約の締結・発効に至ったんだそうな。その出発点の一つがこのアブ・シンベル大神殿だった。

ラムセス2世の数々の像

ラムセス2世はエジプト各地に多くの建築物を残した。(とはいえ、実は昔の王が築いた建築物に刻まれた昔の王の名前を削り取り、あらためて自分の名前を刻ませたこともあったらしい。)

また、彼は各地に自分の像を残している。上に画像のあるアブ・シンベル大神殿の正面のみならず内部にもいくつもの像を立てさせている。ルクソール神殿にもある。サッカラの階段ピラミッドの近くにある古都メンフィスにも残っている。

カルナック神殿にあるパネジェムの巨像は実はラムセス2世の像だった(エジプト)

更にはカルナック神殿に立つラムセス2世の像が上の画像だ。ところが、上の像は今ではパネジェムの巨像と呼ばれている。

というのも、90歳もの長寿を誇ったラムセス2世が亡くなった後、彼の属した第19王朝の次の次の第21王朝の頃なんだけど、エジプト南部(上エジプト)はカルナック神殿の大司祭の支配下にあった。そんな大司祭の一人パネジェム1世は上の像にあったラムセス2世の名を削り取り、自分の名を刻み込ませた。かくして今はパネジェムの巨像と呼ばれている。

古代エジプト随一の権力者だったラムセス2世、自分の死後にそんなことをされるとは思ってもいなかっただろうね。

最後に余談を一つ。あちこちで建設工事を行ったラムセス2世は、多くの労働者を必要とした。それが古代のユダヤ人(ヘブライ人)だったとも言われている。つまり、ヘブライ人たちを働かせて多くの建設工事を行ったというわけだ。

ところが、その労働がきつ過ぎた。古代のブラック ・・・ だったわけだ。耐えられなくなったヘブライ人たちは集団でエジプトから逃げ出した。それが旧約聖書にあるモーゼの出エジプトだと説明する学者もいるそうな。

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